2018.08.27ブログ
2018年8月住職日々随想
法 悦 8月号 815号
過 吉野 弘
日々を過(す)ごす
日々を過(あやま)つ
二つは
一つことか
生きることは
そのまま過ちであるかもしれない日々
「いかがお過ごしですか」と
はがきの初めに書いて
落ち着かない気分になる
「あなたはどんな過ちをしていますか」と
問い合わせをするようで ー
青色青光
さるべき業縁のもよほさば
オウム真理教の教祖、麻原彰晃(本名 松本千津夫)以下、元幹部七名の死刑囚が処刑されました。
驚くべきことに死刑執行の七月六日前夜に、執行責任者である法務大臣や、総理をはじめ閣僚の多くが酒に顔を赤らめ、宴会を楽しんでおられたのです。
死刑囚本人の恐怖や、死刑囚の家族や現場の刑務官、関係者の方々の深い苦悩を思う時、そのあまりの落差にやり切れなさを禁じ得ませんでした。
自由主義先進国の中で、実質的にほぼ唯一、死刑存置国である日本ですが、その残虐性と冤罪の場合に取り返しがつかないこと、被害者遺族の方々がそれで本当に救われるのか、などを考えると、この制度に本当に正当性があるのか、大いに疑問です。
日本の多くの方々が誤解しておられようですが、刑罰は被害者の恨みを晴らす為にあるのではなく、あくまで国の秩序を破った事に対するペナルティであり、国の最高権力の行使としてなされるのです。
親鸞聖人は歎異抄の、唯円坊とのやり取りの中で、「わがこころのよくてころさぬにはあらず。また害せじとおもふとも、百人千人殺すこともあるべし(中略)さるべき業縁のもよほさば、いかなるふるまひもすべし」と、絶対の善人もなければ、絶対の悪人もない。人間とはどこまでも縁次第、まさに業縁存在なのだと、深く重く受け止めておられるのです。
住職日々随想
2018年7月6日、オウム真理教の犯した数々の罪により、教祖以下七名の死刑が執行されました。
大方の輿論としては、あれだけの犯罪を犯したのだから、全容は解明しきれなかったが、処刑は当然致し方のないことで、これは一つの区切りなんだと受け止められているようです。
縁あって死刑囚のひとり、井上嘉浩氏と面会を重ね、何とか生きて償わせる事は出来ないのかと、処刑前日まで、恩赦を求める署名活動をしていた私の友人の僧侶Kさんは、深い悲しみに打ちのめされています。安易な慰めなど何の役にも立たない事と分かっているだけに、わが身の無力を感じます。
限られた情報しか漏れ出しては来ませんので、全くご存じない方の方が多いのは致し方のないことですが、マインドコントロールから解放され、自らの犯してしまった過ちに真摯に向き合い、深い慚愧のなか、新たにカルトに心とらわれ、過去の自分と同じように、道を誤るかも知れない若者達を、獄中から案じ続け、支援者を通じて何とか役立ちたい、と心砕いていたそんな人だったそうです。そんな人を殺すことが本当に正しい選択だったのでしょうか?
謝罪する立場に立ったとき、許されるつもりで謝るのか、許してはもらえない覚悟で謝るのか、井上氏の獄中の手紙からは、許されない覚悟で謝っていることがひしひしと伝わってくると。
「罪をめぐる命の痛みと悲しみをじっと静かにかみしめていると、どこからともなくいのちのまなざしを感じます。
そのようないのちは、私のものでも、誰のものでもなく、人間が作り出す罪や過ちも悲しみや苦しみも、もれなく受け止める底知れぬ愛に満ちながら、同時にどこまでもじっと黙って見つめ、突き放し、一人一人が人として成熟していくようにうながしていく厳しさがあると感じます。
ただただ静かに涙がこぼれます。」と、獄中の手紙にはあるそうです。
生きるということは、大なり小なり、罪や過ちを犯さずにはおれないこと。そんな許されるはずのない私をこそ、阿弥陀仏は救わんと誓われました。
南無阿弥陀仏とあわされる掌の中に、どれだけの数限りない罪業のあることか。わが身の罪業を背負ったとき、初めて阿弥陀仏の慈悲を感じ、その願いの深さに涙するのでしょう。
今また一人一人、私たちの全てが、ひとつ大きな罪を犯してしまいました。
罪障功徳の體(たい)となる
こほりとみづのごとくにて
こほりおほきにみづおほし
さわりおほきに徳おほし 「高僧和讃」親鸞聖人
八月の行事
5 日(日)午後1時~ おみがき清掃ご奉仕
盂蘭盆会法要
14日(火)両日とも午後1時・3時・7時半~
15日(水) (計六座)
*読み上げご希望のご法名を書き出してお持ち下さい。
20日(月)午後3 時~ 仏教民謡踊りの会
23日(木)午前10時半~ ピラティス
28日(火) 南御堂盆踊り参加
31日(金)午後2時~ 仏教コーラスの会
九月の行事
14日(金)午後2時~ 仏教コーラスの会
¡ 秋季彼岸永代経
15日(土)午後2時~ 法要・仏教コーラス発表
南御堂合唱団共演・ご法話
午後6時~ 法要・ご法話
阿倍野 即応寺住職 藤井善隆師
*お抹茶お斉接待あります。
20日(木)午後2時~ 仏教民謡踊りの会
25日(火)午後2時~ 門徒女性聞法のつどい27 日(木)午前10時半~ ピラティス
*本堂内全てイス席、冷房完備、どなた様もお気軽に
過 吉野 弘
日々を過(す)ごす
日々を過(あやま)つ
二つは
一つことか
生きることは
そのまま過ちであるかもしれない日々
「いかがお過ごしですか」と
はがきの初めに書いて
落ち着かない気分になる
「あなたはどんな過ちをしていますか」と
問い合わせをするようで ー
青色青光
さるべき業縁のもよほさば
オウム真理教の教祖、麻原彰晃(本名 松本千津夫)以下、元幹部七名の死刑囚が処刑されました。
驚くべきことに死刑執行の七月六日前夜に、執行責任者である法務大臣や、総理をはじめ閣僚の多くが酒に顔を赤らめ、宴会を楽しんでおられたのです。
死刑囚本人の恐怖や、死刑囚の家族や現場の刑務官、関係者の方々の深い苦悩を思う時、そのあまりの落差にやり切れなさを禁じ得ませんでした。
自由主義先進国の中で、実質的にほぼ唯一、死刑存置国である日本ですが、その残虐性と冤罪の場合に取り返しがつかないこと、被害者遺族の方々がそれで本当に救われるのか、などを考えると、この制度に本当に正当性があるのか、大いに疑問です。
日本の多くの方々が誤解しておられようですが、刑罰は被害者の恨みを晴らす為にあるのではなく、あくまで国の秩序を破った事に対するペナルティであり、国の最高権力の行使としてなされるのです。
親鸞聖人は歎異抄の、唯円坊とのやり取りの中で、「わがこころのよくてころさぬにはあらず。また害せじとおもふとも、百人千人殺すこともあるべし(中略)さるべき業縁のもよほさば、いかなるふるまひもすべし」と、絶対の善人もなければ、絶対の悪人もない。人間とはどこまでも縁次第、まさに業縁存在なのだと、深く重く受け止めておられるのです。
住職日々随想
2018年7月6日、オウム真理教の犯した数々の罪により、教祖以下七名の死刑が執行されました。
大方の輿論としては、あれだけの犯罪を犯したのだから、全容は解明しきれなかったが、処刑は当然致し方のないことで、これは一つの区切りなんだと受け止められているようです。
縁あって死刑囚のひとり、井上嘉浩氏と面会を重ね、何とか生きて償わせる事は出来ないのかと、処刑前日まで、恩赦を求める署名活動をしていた私の友人の僧侶Kさんは、深い悲しみに打ちのめされています。安易な慰めなど何の役にも立たない事と分かっているだけに、わが身の無力を感じます。
限られた情報しか漏れ出しては来ませんので、全くご存じない方の方が多いのは致し方のないことですが、マインドコントロールから解放され、自らの犯してしまった過ちに真摯に向き合い、深い慚愧のなか、新たにカルトに心とらわれ、過去の自分と同じように、道を誤るかも知れない若者達を、獄中から案じ続け、支援者を通じて何とか役立ちたい、と心砕いていたそんな人だったそうです。そんな人を殺すことが本当に正しい選択だったのでしょうか?
謝罪する立場に立ったとき、許されるつもりで謝るのか、許してはもらえない覚悟で謝るのか、井上氏の獄中の手紙からは、許されない覚悟で謝っていることがひしひしと伝わってくると。
「罪をめぐる命の痛みと悲しみをじっと静かにかみしめていると、どこからともなくいのちのまなざしを感じます。
そのようないのちは、私のものでも、誰のものでもなく、人間が作り出す罪や過ちも悲しみや苦しみも、もれなく受け止める底知れぬ愛に満ちながら、同時にどこまでもじっと黙って見つめ、突き放し、一人一人が人として成熟していくようにうながしていく厳しさがあると感じます。
ただただ静かに涙がこぼれます。」と、獄中の手紙にはあるそうです。
生きるということは、大なり小なり、罪や過ちを犯さずにはおれないこと。そんな許されるはずのない私をこそ、阿弥陀仏は救わんと誓われました。
南無阿弥陀仏とあわされる掌の中に、どれだけの数限りない罪業のあることか。わが身の罪業を背負ったとき、初めて阿弥陀仏の慈悲を感じ、その願いの深さに涙するのでしょう。
今また一人一人、私たちの全てが、ひとつ大きな罪を犯してしまいました。
罪障功徳の體(たい)となる
こほりとみづのごとくにて
こほりおほきにみづおほし
さわりおほきに徳おほし 「高僧和讃」親鸞聖人
八月の行事
5 日(日)午後1時~ おみがき清掃ご奉仕
盂蘭盆会法要
14日(火)両日とも午後1時・3時・7時半~
15日(水) (計六座)
*読み上げご希望のご法名を書き出してお持ち下さい。
20日(月)午後3 時~ 仏教民謡踊りの会
23日(木)午前10時半~ ピラティス
28日(火) 南御堂盆踊り参加
31日(金)午後2時~ 仏教コーラスの会
九月の行事
14日(金)午後2時~ 仏教コーラスの会
¡ 秋季彼岸永代経
15日(土)午後2時~ 法要・仏教コーラス発表
南御堂合唱団共演・ご法話
午後6時~ 法要・ご法話
阿倍野 即応寺住職 藤井善隆師
*お抹茶お斉接待あります。
20日(木)午後2時~ 仏教民謡踊りの会
25日(火)午後2時~ 門徒女性聞法のつどい27 日(木)午前10時半~ ピラティス
*本堂内全てイス席、冷房完備、どなた様もお気軽に
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