2018.09.26お知らせ
2018年10月住職日々随想
法 悦 10月号 817号
行く川のながれは
絶えずして
しかももとの水にあらず
よどみに浮ぶうたかたは
かつ消えかつ結びて
久しくとゞまることなし
世の中にある人とすみかと
またかくの如し
(中略)
すなはち人皆あぢきなきことを述べて
いさゝか心のにごりもうすらぐと見えしほどに
月日かさなり年越えしかば
後は言の葉にかけて
いひ出づる人だになし
「方丈記」 鴨長明
青色青光
のど元過ぎれば…
大阪北部地震に豪雨被害、殺人的な猛暑、さらには台風21号、北海道地震と息つく暇もなく大きな天災が日本を襲い、まさに災害列島に住まいしている現実を、改めて思い知らされた夏でした。
こういう時にあって、思い起こされるのは、平安時代末期に著された鴨長明の方丈記です。
上の冒頭の文は、平家物語などと共に世の無常を表したものとして、つとに有名ですが、その方丈記には、当時、京の都を襲った、安元三年の大火、治承四年の辻風、養和の大飢饉、元歴の大地震など、さまざまな危難災害の記述があり、別名「災害文学」とも称せられています。
わけても飢饉の折の「その思ひまさりて、心ざし深きはかならずさきだちて死しぬ。そのゆゑは、我が身をば次になして、男にもあれ女にもあれ、いたはしく思ふかたに、たまたま乞ひ得たる物を、まづゆづるによりてなり。されば父子あるものはさだまれる事にて、親ぞさきだちて死にける。」との記述には、惨たるこの世の極苦と、衆生の末通らぬ慈悲の持つ悲しみが著され、胸を打ちます。
しかしこの方丈記に於いて、注目すべきはむしろ上記の後半の部分ではないでしょうか?
苦々しくどうにもならないという諦めが、月日を重ねるうちに、人の口にも上らなくしてしまう。
私たちは見たくないものは見ない、見ない物は無いことにして、忘却の彼方に追いやってしまいます。
実に、大切なことほど心に刻み続けるべきなのに…
住職日々随想
災害続きのこの頃。よくご門徒の方々とも相次ぐ災害の報道に、異常気象の影響か、本当にお気の毒なことですね、などと言い合いながらも、「せやけど大阪は結構なところですなぁ。きっとお天道様も、大阪のおばちゃんが怖いから、避けてはるんんでっせ」などと軽口を叩いておりましたが、先日の北部地震や台風に、改めて自身の愚かさを知らされたことでした。
中国の三大詩人のうち、唐の時代の白居易(白楽天)に、興味深い逸話が伝わっています。
何らかの事情で中央政界から杭州に左遷させられた白居易が、彼の地の著名な道林禅師を訪ねたおり、禅師が松の木の枝の上に座禅をしている姿に驚き、
「和尚、なにゆえそのような危うきところで坐禅をしておられるのですか?」
「ワシには、あなたのほうが危険に見えるが」
「私はこの度新しく杭州の長官として赴任してきた白居易です。この辺りはすべて私が治めています。何の危険があるというのでしょうか」
「薪を燃やすかのように、煩悩の炎が燃えあがっておる。そのことに気づかずにいて、どうして危険がないなどということが言えようか」
なるほどと思った白居易が「それでは仏教とは何か一言で教えて下さい。」と問うと、
有名な法句経の七仏通戒の偈、つまり
「諸悪莫作(諸々の悪をなしてはならない) 衆善奉行(衆に善き行いをしなさい) 自淨其意(自らの心を清らかに保ちなさい) 是諸仏教(これ諸仏のみ教えである)」をもって答えました。
それを聞いた白居易があきれて、「そんなことならば幼児でも分かる」と難詰すると、
「三歳の童これを解する事あれども、八〇の翁これ行うこと難し。」と、
この答えに感服した白居易は、その後、道林禅師と長き交誼を結んだと伝わっています。
このエピソードからも明らかなように、仏教は行為主義に立つ教えで、釈尊のお言葉に「人は生まれ育ちによって、卑しい尊いが決まるのではない。人はその行いによってのみ、卑しい尊いが決まるのだ。」とあることからも明らかです。
しかし仏教がいかに優れた教えであろうとも、それを正しく行う人がいなければ、単なる知識となり、歩む人を生み出す「仏道」とはなりえないのです。
親鸞聖人はその深い智眼によって、私たち凡夫は、自力によっては真の仏道を成ずる事は、はなはだ難しく、ただ如来の本願力に信順する事によってのみ、道は開かれてくるのだと教えて下さっているのです。
無慚無愧のこの身にて
まことのこころはなけれども
弥陀の回向の御名なれば
功徳は十方にみちたまう
小慈小悲もなき身にて
有情利益はおもうまじ
如来の願船いまさずは
苦海をいかでかわたるべき(愚禿悲嘆述懐和讃)
十月の行事
2 日(火)午後1時半~5時 囲碁教室(新設)
10日(水)午前10時半~ ピラティス
18日(木)午後2時~ 仏教民謡踊りの会
20日(土)午後4時~ 祥月講・同朋の会聞法会
ご講師 円龍寺住職 門井 斉師25日(木)午前10時半~ ピラティス
28日(日)午前中 難波別院報恩講団体参拝
30日(火)午後2時~ 門徒女性聞法のつどい
十一月の行事
3 日(祝)午後1時~ おみがき清掃ご奉仕
6 日(火)午後1時半~5時 囲碁教室
9 日(金)午後2時~ 仏教コーラスの会
報 恩 講
12日(月)午後2時~ 大逮夜 夕方6時~ 御伝鈔拝読
13日(火)午後2時~ 結願日中 ご法話 泉大津 南溟寺 戸次公正師
(お抹茶・お斎のご接待有ります。)
15日(木)午後2時~ 仏教民謡踊りの会
22日(木)午前10時半~ ピラティス
*本堂内全てイス席、冷房完備、どなた様もお気軽に
*12月2日(日) お楽しみ日帰りバスツアー
今年は美山「かや葺きの里」「常照皇寺」を訪ねます。奮ってご参加下さい。詳細は後日お知らせします。
行く川のながれは
絶えずして
しかももとの水にあらず
よどみに浮ぶうたかたは
かつ消えかつ結びて
久しくとゞまることなし
世の中にある人とすみかと
またかくの如し
(中略)
すなはち人皆あぢきなきことを述べて
いさゝか心のにごりもうすらぐと見えしほどに
月日かさなり年越えしかば
後は言の葉にかけて
いひ出づる人だになし
「方丈記」 鴨長明
青色青光
のど元過ぎれば…
大阪北部地震に豪雨被害、殺人的な猛暑、さらには台風21号、北海道地震と息つく暇もなく大きな天災が日本を襲い、まさに災害列島に住まいしている現実を、改めて思い知らされた夏でした。
こういう時にあって、思い起こされるのは、平安時代末期に著された鴨長明の方丈記です。
上の冒頭の文は、平家物語などと共に世の無常を表したものとして、つとに有名ですが、その方丈記には、当時、京の都を襲った、安元三年の大火、治承四年の辻風、養和の大飢饉、元歴の大地震など、さまざまな危難災害の記述があり、別名「災害文学」とも称せられています。
わけても飢饉の折の「その思ひまさりて、心ざし深きはかならずさきだちて死しぬ。そのゆゑは、我が身をば次になして、男にもあれ女にもあれ、いたはしく思ふかたに、たまたま乞ひ得たる物を、まづゆづるによりてなり。されば父子あるものはさだまれる事にて、親ぞさきだちて死にける。」との記述には、惨たるこの世の極苦と、衆生の末通らぬ慈悲の持つ悲しみが著され、胸を打ちます。
しかしこの方丈記に於いて、注目すべきはむしろ上記の後半の部分ではないでしょうか?
苦々しくどうにもならないという諦めが、月日を重ねるうちに、人の口にも上らなくしてしまう。
私たちは見たくないものは見ない、見ない物は無いことにして、忘却の彼方に追いやってしまいます。
実に、大切なことほど心に刻み続けるべきなのに…
住職日々随想
災害続きのこの頃。よくご門徒の方々とも相次ぐ災害の報道に、異常気象の影響か、本当にお気の毒なことですね、などと言い合いながらも、「せやけど大阪は結構なところですなぁ。きっとお天道様も、大阪のおばちゃんが怖いから、避けてはるんんでっせ」などと軽口を叩いておりましたが、先日の北部地震や台風に、改めて自身の愚かさを知らされたことでした。
中国の三大詩人のうち、唐の時代の白居易(白楽天)に、興味深い逸話が伝わっています。
何らかの事情で中央政界から杭州に左遷させられた白居易が、彼の地の著名な道林禅師を訪ねたおり、禅師が松の木の枝の上に座禅をしている姿に驚き、
「和尚、なにゆえそのような危うきところで坐禅をしておられるのですか?」
「ワシには、あなたのほうが危険に見えるが」
「私はこの度新しく杭州の長官として赴任してきた白居易です。この辺りはすべて私が治めています。何の危険があるというのでしょうか」
「薪を燃やすかのように、煩悩の炎が燃えあがっておる。そのことに気づかずにいて、どうして危険がないなどということが言えようか」
なるほどと思った白居易が「それでは仏教とは何か一言で教えて下さい。」と問うと、
有名な法句経の七仏通戒の偈、つまり
「諸悪莫作(諸々の悪をなしてはならない) 衆善奉行(衆に善き行いをしなさい) 自淨其意(自らの心を清らかに保ちなさい) 是諸仏教(これ諸仏のみ教えである)」をもって答えました。
それを聞いた白居易があきれて、「そんなことならば幼児でも分かる」と難詰すると、
「三歳の童これを解する事あれども、八〇の翁これ行うこと難し。」と、
この答えに感服した白居易は、その後、道林禅師と長き交誼を結んだと伝わっています。
このエピソードからも明らかなように、仏教は行為主義に立つ教えで、釈尊のお言葉に「人は生まれ育ちによって、卑しい尊いが決まるのではない。人はその行いによってのみ、卑しい尊いが決まるのだ。」とあることからも明らかです。
しかし仏教がいかに優れた教えであろうとも、それを正しく行う人がいなければ、単なる知識となり、歩む人を生み出す「仏道」とはなりえないのです。
親鸞聖人はその深い智眼によって、私たち凡夫は、自力によっては真の仏道を成ずる事は、はなはだ難しく、ただ如来の本願力に信順する事によってのみ、道は開かれてくるのだと教えて下さっているのです。
無慚無愧のこの身にて
まことのこころはなけれども
弥陀の回向の御名なれば
功徳は十方にみちたまう
小慈小悲もなき身にて
有情利益はおもうまじ
如来の願船いまさずは
苦海をいかでかわたるべき(愚禿悲嘆述懐和讃)
十月の行事
2 日(火)午後1時半~5時 囲碁教室(新設)
10日(水)午前10時半~ ピラティス
18日(木)午後2時~ 仏教民謡踊りの会
20日(土)午後4時~ 祥月講・同朋の会聞法会
ご講師 円龍寺住職 門井 斉師25日(木)午前10時半~ ピラティス
28日(日)午前中 難波別院報恩講団体参拝
30日(火)午後2時~ 門徒女性聞法のつどい
十一月の行事
3 日(祝)午後1時~ おみがき清掃ご奉仕
6 日(火)午後1時半~5時 囲碁教室
9 日(金)午後2時~ 仏教コーラスの会
報 恩 講
12日(月)午後2時~ 大逮夜 夕方6時~ 御伝鈔拝読
13日(火)午後2時~ 結願日中 ご法話 泉大津 南溟寺 戸次公正師
(お抹茶・お斎のご接待有ります。)
15日(木)午後2時~ 仏教民謡踊りの会
22日(木)午前10時半~ ピラティス
*本堂内全てイス席、冷房完備、どなた様もお気軽に
*12月2日(日) お楽しみ日帰りバスツアー
今年は美山「かや葺きの里」「常照皇寺」を訪ねます。奮ってご参加下さい。詳細は後日お知らせします。
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