2020.04.26ブログ
2020年 5月
法 悦 五月号 836号
自分が可愛い
ただそれだけのことで
生きてきた
それが深い悲しみと
なったとき
ちがった世界が
開けてきた
浅田正作
青色青光
仏陀は「心によってどこへ行
こうとも、自己より愛しいものを
得ず。このように自己は他者にとっ
ても愛おしい。それゆえ自己を愛するものは、他者を害するなかれ。」と、お説きになられました。
しかし、先の見通せない不安に満ちあふれた今日の世界、ややもすれば、誰もが「自分ファースト」の独善的な考えに陥りがちです。
石川県の松任に、山崎ヨンさんという篤信の念仏者がおられました。
そのヨンさんの所に「不安を取り除いてあげよう」という新興宗教の方が来られたとき
「不安だらけの世の中でねぇ、けどこの不安あんたらにあげてしもうたら、ウラ(私)何をたよりに生きていったらエエがやろ。不安は私のいのちやもん。」と、不安があるからこそ、仏法を鏡とし、業縁によっていかなる振る舞いもする、そんな我が身を問い続けることが出来る、と。現在ほど、一人一人が仏法に出遇わねばならないときはありません。
住職日々随想
残念ながら、新型コロナ
ウィルスの感染拡大が止まりません。
三月下旬になって、ようやく東京オリンピック・パラリンピックの延期が決定され、それを待ち構えていたかのように、感染者の急増が発表されました。
見たくないものは見ない、見ないもの無いことにする。そういう日本人にありがちな、因習的なメンタリティが為政者の中にもあったのか、定かではありませんが、感染拡大に対する対応が遅れ、未だに十分な検査態勢すら整わず、危機に対する構えが出来ずに、漠然とした不安に覆われてしまっている、ということが実情ではないでしょうか。
三月四月に予定されていた様々な行事やイベント、卒業式や入学式、入社式、結婚式やご葬儀など、すべてが中止もしくは縮小、延期を余儀なくされ、悔しく残念な思いをしておられる方が、少なからずおられます。
更には国民の誰もが、やむをえぬ場合を除き、外出を控えなければならない、そんな苦しい状況が続いています。
かつて、阪神淡路大震災や東日本大震災の時もそうであったように、多くの人が先の見えない不安を抱えて心の平衡を失い、気鬱な状態になってしまっています。
実際この嵐のような状況の中で、唯一できる事は、体力気力を根こそぎ奪われないように温存し、嵐の過ぎ去るのをじっと待つしかないのかもしれません、が、こういった辛さを、お一人お一人の心の中だけに閉じ込めておく事は、精神衛生上宜しくありません。
辛い苦しい悲しい思いは、いちど言葉や文章にして解放してあげる、そして気持ちの折り合いをつけ、事実を事実として受け止めて、そこを足場として立ち上がることが大切です。
住職として、仏法をお伝えする事は当然の責務ですが、今ひとつ、せめて、お一人おひとりの思いを受け止める、「愚痴の受け皿」になれればと、常日ごろ願っております。
愚痴は言うものではありません、こぼれてあふれ出るものなのです。
ただ、愚痴をこぼされる方々が、多少なりとも思いを受け止めてもらえた、とお感じになって、ご自身の愚痴に気付いていただければ、受け手の心も軽くなります。
何より、ご本人が単なる愚痴と思っていらっしゃることの中にも、様々な気づきを与えて下さる、ダイヤの原石のようなものを見いだすことすらあるのです。
勿論望んでんでそうなる訳ではありませんが、今のこの不条理な状況を耐えることで、「心のひだ」が厚くなる、いわば他者に対する共感力や慈しみの心も豊かに
なるのではないでしょうか。
坊守便り
阿弥陀様のお煤払い
今回、安泉寺のご修復百年事業としまして、
瓦の全面葺き替えをして新調瓦となりました。そうして素晴らしい美しい姿が見えてきますと、大屋根妻側材木や、続き棟になる下屋根・塀の瓦の傷みが露わとなり、それぞれの補修もし、長年の泥やほこりの汚れのついた壁も、真新しく白く塗り替えの出来た事です。
山門も点検して頂きました。屋外にさらされているため手すりに傷みがあり根元から朽ちていることがわかりました。安全のため手すりはすべて新調となりました。早くわかってよかったです。
こうして御堂の外側はすっかり美しくなりました。そのような中、長年お寺を大切にしてくださったご門徒さんが本堂でご葬儀をなさいました。その際に担当しておられた葬儀社の方から仏具のお手入れの優れた技術をもっている方がある。と言う情報をいただきました。
本堂正面の阿弥陀様のおられる、お内陣の扉の中央には安泉寺山号額がかかっています。山号額の周りには深く彫り込んだ鳳凰の欄間があります。その上は木の彫り物となっています。いつも本堂大掃除の際には彫り物のほこりも掃除できないかなと思っていましたので来て頂きました。
職人さんが下見に来られました。その際言われたことには『私のところは、珍しい技術があるという事で、何度かテレビ取材を受けています。この度、阿弥陀様を洗うところをテレビで放映したいという申し入れがあります。ちょうど良いタイミングで安泉寺さんのお仕事のお話がありました。受けてみられますか?』と言われました。
何と阿弥陀様を、お洗いして煤を払うとは如何なものでしょうか。と思いましたが、住職と相談いたしました。阿弥陀様も何百年の蝋の燻りで黒くなっておられる、すっきりなさるのも良い事であるかもしれないという事になりました。
当日はテレビ東京・テレビ大阪、仏教新聞「文化時報」もお越しになり、職人さん5名とスタッフ6名の大人数の見守る中、阿弥陀様は特殊な泡に包まれてするりと金の輝きを取り戻されました。
台座からは黒くて見えなかった年号が現れました。寛永3年一六二六年約四〇〇年前の作と阿弥陀様が製作された年もはっきりと読み取れました。
また、輝きを取り戻された阿弥陀様を仰ぎ見て、ありがたい事だと思いました。
五月の行事
16日(土)午後4時~
祥月講・同朋の会
六月の行事
20日(土)午後4時~ 祥月講・同朋の会
*五月六月の諸行事は、新型コロナウイルス
のさらなる感染終息の見通しが立たない現 段階では実施が困難となっております。
祥月講・同朋の会のみ、内勤めの形で勤行 致します。
感染予防にご留意の上、お参り下さいませ。
自分が可愛い
ただそれだけのことで
生きてきた
それが深い悲しみと
なったとき
ちがった世界が
開けてきた
浅田正作
青色青光
仏陀は「心によってどこへ行
こうとも、自己より愛しいものを
得ず。このように自己は他者にとっ
ても愛おしい。それゆえ自己を愛するものは、他者を害するなかれ。」と、お説きになられました。
しかし、先の見通せない不安に満ちあふれた今日の世界、ややもすれば、誰もが「自分ファースト」の独善的な考えに陥りがちです。
石川県の松任に、山崎ヨンさんという篤信の念仏者がおられました。
そのヨンさんの所に「不安を取り除いてあげよう」という新興宗教の方が来られたとき
「不安だらけの世の中でねぇ、けどこの不安あんたらにあげてしもうたら、ウラ(私)何をたよりに生きていったらエエがやろ。不安は私のいのちやもん。」と、不安があるからこそ、仏法を鏡とし、業縁によっていかなる振る舞いもする、そんな我が身を問い続けることが出来る、と。現在ほど、一人一人が仏法に出遇わねばならないときはありません。
住職日々随想
残念ながら、新型コロナ
ウィルスの感染拡大が止まりません。
三月下旬になって、ようやく東京オリンピック・パラリンピックの延期が決定され、それを待ち構えていたかのように、感染者の急増が発表されました。
見たくないものは見ない、見ないもの無いことにする。そういう日本人にありがちな、因習的なメンタリティが為政者の中にもあったのか、定かではありませんが、感染拡大に対する対応が遅れ、未だに十分な検査態勢すら整わず、危機に対する構えが出来ずに、漠然とした不安に覆われてしまっている、ということが実情ではないでしょうか。
三月四月に予定されていた様々な行事やイベント、卒業式や入学式、入社式、結婚式やご葬儀など、すべてが中止もしくは縮小、延期を余儀なくされ、悔しく残念な思いをしておられる方が、少なからずおられます。
更には国民の誰もが、やむをえぬ場合を除き、外出を控えなければならない、そんな苦しい状況が続いています。
かつて、阪神淡路大震災や東日本大震災の時もそうであったように、多くの人が先の見えない不安を抱えて心の平衡を失い、気鬱な状態になってしまっています。
実際この嵐のような状況の中で、唯一できる事は、体力気力を根こそぎ奪われないように温存し、嵐の過ぎ去るのをじっと待つしかないのかもしれません、が、こういった辛さを、お一人お一人の心の中だけに閉じ込めておく事は、精神衛生上宜しくありません。
辛い苦しい悲しい思いは、いちど言葉や文章にして解放してあげる、そして気持ちの折り合いをつけ、事実を事実として受け止めて、そこを足場として立ち上がることが大切です。
住職として、仏法をお伝えする事は当然の責務ですが、今ひとつ、せめて、お一人おひとりの思いを受け止める、「愚痴の受け皿」になれればと、常日ごろ願っております。
愚痴は言うものではありません、こぼれてあふれ出るものなのです。
ただ、愚痴をこぼされる方々が、多少なりとも思いを受け止めてもらえた、とお感じになって、ご自身の愚痴に気付いていただければ、受け手の心も軽くなります。
何より、ご本人が単なる愚痴と思っていらっしゃることの中にも、様々な気づきを与えて下さる、ダイヤの原石のようなものを見いだすことすらあるのです。
勿論望んでんでそうなる訳ではありませんが、今のこの不条理な状況を耐えることで、「心のひだ」が厚くなる、いわば他者に対する共感力や慈しみの心も豊かに
なるのではないでしょうか。
坊守便り
阿弥陀様のお煤払い
今回、安泉寺のご修復百年事業としまして、
瓦の全面葺き替えをして新調瓦となりました。そうして素晴らしい美しい姿が見えてきますと、大屋根妻側材木や、続き棟になる下屋根・塀の瓦の傷みが露わとなり、それぞれの補修もし、長年の泥やほこりの汚れのついた壁も、真新しく白く塗り替えの出来た事です。
山門も点検して頂きました。屋外にさらされているため手すりに傷みがあり根元から朽ちていることがわかりました。安全のため手すりはすべて新調となりました。早くわかってよかったです。
こうして御堂の外側はすっかり美しくなりました。そのような中、長年お寺を大切にしてくださったご門徒さんが本堂でご葬儀をなさいました。その際に担当しておられた葬儀社の方から仏具のお手入れの優れた技術をもっている方がある。と言う情報をいただきました。
本堂正面の阿弥陀様のおられる、お内陣の扉の中央には安泉寺山号額がかかっています。山号額の周りには深く彫り込んだ鳳凰の欄間があります。その上は木の彫り物となっています。いつも本堂大掃除の際には彫り物のほこりも掃除できないかなと思っていましたので来て頂きました。
職人さんが下見に来られました。その際言われたことには『私のところは、珍しい技術があるという事で、何度かテレビ取材を受けています。この度、阿弥陀様を洗うところをテレビで放映したいという申し入れがあります。ちょうど良いタイミングで安泉寺さんのお仕事のお話がありました。受けてみられますか?』と言われました。
何と阿弥陀様を、お洗いして煤を払うとは如何なものでしょうか。と思いましたが、住職と相談いたしました。阿弥陀様も何百年の蝋の燻りで黒くなっておられる、すっきりなさるのも良い事であるかもしれないという事になりました。
当日はテレビ東京・テレビ大阪、仏教新聞「文化時報」もお越しになり、職人さん5名とスタッフ6名の大人数の見守る中、阿弥陀様は特殊な泡に包まれてするりと金の輝きを取り戻されました。
台座からは黒くて見えなかった年号が現れました。寛永3年一六二六年約四〇〇年前の作と阿弥陀様が製作された年もはっきりと読み取れました。
また、輝きを取り戻された阿弥陀様を仰ぎ見て、ありがたい事だと思いました。
五月の行事
16日(土)午後4時~
祥月講・同朋の会
六月の行事
20日(土)午後4時~ 祥月講・同朋の会
*五月六月の諸行事は、新型コロナウイルス
のさらなる感染終息の見通しが立たない現 段階では実施が困難となっております。
祥月講・同朋の会のみ、内勤めの形で勤行 致します。
感染予防にご留意の上、お参り下さいませ。
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