2020.08.01ブログ
法悦 8月
法 悦 8月号 839号
「生きてりゃいいさ」
作詞作曲 河島 英五
きみが悲しみに
心を閉ざしたとき
思い出してほしい歌がある
人を信じれず
眠れない夜にも
きっと忘れないでほしい
生きてりゃいいさ
生きてりゃいいさ
そうさ 生きてりゃいいのさ
喜びも悲しみも
立ちどまりはしない
めぐり めぐって行くのさ
手の掌を合わせよう
ほら温りが
君の胸に届くだろう
青色青光
女子プロレスラーや若手俳優の自死、ALS患者嘱託殺人など、
ショッキングな事件が続きました。
一般的にキリスト教では、自死した者は煉獄に落ちると説かれているようですが、仏教では自死についてどの様に説いているのでしょうか?
お釈迦様ご在世の時、仏弟子の中にも病を苦に自死された方がおられました。しかし、お釈迦様は「彼は涅槃を得た」と、述べられましたが、その善悪について説いてはおられません。
現実問題として、大切な方に自死されたご遺族や関係者にとって「自死は悪だ」と言われると、喪失の悲しみに加え、故人が死んでも救われないのかと、二重の絶望を味わわされる事になってしまうのです。
衆生の苦を抜く事(抜苦与楽)を目的とする仏教は、最後まで当事者の苦しみに寄り添い、生ききる手助けを尽くすことが本来の立場なのです。
今ひとつ気をつけなければならないのは、こういった場合必ず現れる『尊厳死』について、きちんと議論すべきだという意見で、一見まっとうなことのように思われます。しかし、そこに見え隠れするのは、いのちの選別を是とする優生思想であり、老病死を避けられない私たちの誰もが、いつ何時排除される側に立たされるか分からないという事実を忘れている姿です。
難病を患っても、行き詰まっても、生きること『尊厳ある生』を支え合える社会こそ、真に目指すべき「成熟した社会」とは言えないでしょうか?
住職日々随想
コロナ禍が終息しかけたかに
見えた日本でも、経済活動の
再開に伴い、再び緊急事態宣言
発出時を上回る勢いで、連日感染者の増加が伝えられています。
そのような中でありながら、GO TOキャンペーンなるものを展開し、早期に経済を回そうとする政府の対応など、この件に限らず、これまでの政策を見ても、どうにもちぐはぐで、行き当たりばったりの感がぬぐえず、この政権の危機対応能力に、不安を覚えずにはおられません。
世界中の誰もが、当たり前のように受け止めていた日常生活、それを足下から問い直さざるを得なくなった今、宗教とりわけ仏教は、この世界的危難に対して何をなし得るのか、一仏教者として、自問せずにはおれぬ日々を過ごしています。
しかし全般的な状況はさておき、一番気がかりなことは、長引く自粛生活と、ソーシャルディスタンス保持の必要から、人と人との間柄が疎遠になり、孤立感を深める人が確実に増えていることです。
先日も久しぶりに月参りに伺ったお宅で、ほぼ2ヶ月半、誰ともまともに会話をすることがなかったと、涙ながらに語られるご婦人の、寂しく鬱屈した思いをお聞きして、連日の過剰なまでに恐怖をあおるテレビ報道の在り方に、大いに疑問をいだかされました。
また、コロナウイルスに感染された方や、感染者の発生した店舗等、更には感染者の治療に当たっておられる、医療従事者の方々までもが、非難され差別されるという現実にも愕然とさせられます。
先日もあるお宅で「看護師をしている知人が、保育所から、『他の保護者が怖がっているので、お宅のお子さんの登園は遠慮して欲しい』と言われ、致し方なく仕事を辞めた」と聞かされ、実際そのようなひどい話のあることを知らされました。
共同体を守るためとはいいながら、突き詰めれば「おのれ善ければ全てよし」の凡夫の自性(じしょう)が、差別偏見を生んでいることに気付かされます。
浄土は「怨親平等・倶会一処(おんしんびょうどう・くえいっしょ)」の世界、親しき者も憎しみあう者も、共にひとつところで出遇う世界。
それぞれが凡夫の身そのままで、浄土の光を身に受けて、我が身の浅ましい身の事実に、頭の下がったところに初めて開かれる、広大無辺な世界を願う、そのお心を如来より賜り続けながら、お念仏の確かな大道を歩ませて頂きたいことです。
坊守便り
大屋根修復事業ご報告
昨年から進めていました大屋根瓦の吹き替えが完了し、その後木材の朽ちていました山門の手摺の修復、門扉木材の欠損直し、黒ずみのあく取り、本堂下屋根の修復、壁の塗り替え、ライトアップ設置工事と順に完了しました。塗装仕上げでは垂木の白い塗りが際立ち、飾り金具も新瓦となった大屋根の美しさを引き立てています。
今年に入り阿弥陀様もお煤払いをして、お衣を覆っていた黒い汚れもとれました。この際に、テレビにもたびたび取り上げられた職人さんとのご縁を頂き只今は本堂正面上方の欄間とその周囲の梁、梁と桁にかかる荷重を柱にかけ屋根を支える斗供や彫り物の煤払いと木材のあく取りにかかっています。梁の汚れは長年気になっていました。今回のような機会がなければ汚れを取り除くのは難しい事でした。
欄間は阿弥陀様と同じろうそくの煙をまとい黒くなった部分を落として頂きます。また、今回ははげてしまっている金箔の置き直しと彩色、金具の洗い、塗りの磨きもして頂きます、
日頃よりお寺を気にかけてくださるご門徒様方のご助力により、一つ一つ修復が完成してゆきます。安泉寺を皆様と共に次代に引き継いでゆく事が出来て嬉しいことです。
若い方、子供達にも喜んで頂ける事を念じています。
八月の行事
6 日(木)午前10時半~ ピラティス
7 日(金)午後2時~ 仏教コーラスの会
9 日(日)午後1時~おみがき清掃ご奉仕
盂蘭盆会
14日(金)午前11時・午後1・3時・夕方7時
15日(土)午前11時・午後1時
*今回コロナウイルスの感染予防の観点から 右記の計6座、かつ密にならないよう、ご 参詣人数等を当寺にて調整させていただき、 改めましてご案内をご送付申し上げます。
27日(木)午後2時~ 仏教民謡踊りの会
九月の行事
3 日(木)午前10時半~ ピラティス
秋季彼岸会
9月19日(土)午後2時~ 夕方6時~
ご講師 専光寺 髙島光陽師
24日(木)午後2時~ 仏教民謡踊りの会
*コロナ禍の終息状況によっては行事変更もあり得ます。
悪しからずご了承下さいませ。
「生きてりゃいいさ」
作詞作曲 河島 英五
きみが悲しみに
心を閉ざしたとき
思い出してほしい歌がある
人を信じれず
眠れない夜にも
きっと忘れないでほしい
生きてりゃいいさ
生きてりゃいいさ
そうさ 生きてりゃいいのさ
喜びも悲しみも
立ちどまりはしない
めぐり めぐって行くのさ
手の掌を合わせよう
ほら温りが
君の胸に届くだろう
青色青光
女子プロレスラーや若手俳優の自死、ALS患者嘱託殺人など、
ショッキングな事件が続きました。
一般的にキリスト教では、自死した者は煉獄に落ちると説かれているようですが、仏教では自死についてどの様に説いているのでしょうか?
お釈迦様ご在世の時、仏弟子の中にも病を苦に自死された方がおられました。しかし、お釈迦様は「彼は涅槃を得た」と、述べられましたが、その善悪について説いてはおられません。
現実問題として、大切な方に自死されたご遺族や関係者にとって「自死は悪だ」と言われると、喪失の悲しみに加え、故人が死んでも救われないのかと、二重の絶望を味わわされる事になってしまうのです。
衆生の苦を抜く事(抜苦与楽)を目的とする仏教は、最後まで当事者の苦しみに寄り添い、生ききる手助けを尽くすことが本来の立場なのです。
今ひとつ気をつけなければならないのは、こういった場合必ず現れる『尊厳死』について、きちんと議論すべきだという意見で、一見まっとうなことのように思われます。しかし、そこに見え隠れするのは、いのちの選別を是とする優生思想であり、老病死を避けられない私たちの誰もが、いつ何時排除される側に立たされるか分からないという事実を忘れている姿です。
難病を患っても、行き詰まっても、生きること『尊厳ある生』を支え合える社会こそ、真に目指すべき「成熟した社会」とは言えないでしょうか?
住職日々随想
コロナ禍が終息しかけたかに
見えた日本でも、経済活動の
再開に伴い、再び緊急事態宣言
発出時を上回る勢いで、連日感染者の増加が伝えられています。
そのような中でありながら、GO TOキャンペーンなるものを展開し、早期に経済を回そうとする政府の対応など、この件に限らず、これまでの政策を見ても、どうにもちぐはぐで、行き当たりばったりの感がぬぐえず、この政権の危機対応能力に、不安を覚えずにはおられません。
世界中の誰もが、当たり前のように受け止めていた日常生活、それを足下から問い直さざるを得なくなった今、宗教とりわけ仏教は、この世界的危難に対して何をなし得るのか、一仏教者として、自問せずにはおれぬ日々を過ごしています。
しかし全般的な状況はさておき、一番気がかりなことは、長引く自粛生活と、ソーシャルディスタンス保持の必要から、人と人との間柄が疎遠になり、孤立感を深める人が確実に増えていることです。
先日も久しぶりに月参りに伺ったお宅で、ほぼ2ヶ月半、誰ともまともに会話をすることがなかったと、涙ながらに語られるご婦人の、寂しく鬱屈した思いをお聞きして、連日の過剰なまでに恐怖をあおるテレビ報道の在り方に、大いに疑問をいだかされました。
また、コロナウイルスに感染された方や、感染者の発生した店舗等、更には感染者の治療に当たっておられる、医療従事者の方々までもが、非難され差別されるという現実にも愕然とさせられます。
先日もあるお宅で「看護師をしている知人が、保育所から、『他の保護者が怖がっているので、お宅のお子さんの登園は遠慮して欲しい』と言われ、致し方なく仕事を辞めた」と聞かされ、実際そのようなひどい話のあることを知らされました。
共同体を守るためとはいいながら、突き詰めれば「おのれ善ければ全てよし」の凡夫の自性(じしょう)が、差別偏見を生んでいることに気付かされます。
浄土は「怨親平等・倶会一処(おんしんびょうどう・くえいっしょ)」の世界、親しき者も憎しみあう者も、共にひとつところで出遇う世界。
それぞれが凡夫の身そのままで、浄土の光を身に受けて、我が身の浅ましい身の事実に、頭の下がったところに初めて開かれる、広大無辺な世界を願う、そのお心を如来より賜り続けながら、お念仏の確かな大道を歩ませて頂きたいことです。
坊守便り
大屋根修復事業ご報告
昨年から進めていました大屋根瓦の吹き替えが完了し、その後木材の朽ちていました山門の手摺の修復、門扉木材の欠損直し、黒ずみのあく取り、本堂下屋根の修復、壁の塗り替え、ライトアップ設置工事と順に完了しました。塗装仕上げでは垂木の白い塗りが際立ち、飾り金具も新瓦となった大屋根の美しさを引き立てています。
今年に入り阿弥陀様もお煤払いをして、お衣を覆っていた黒い汚れもとれました。この際に、テレビにもたびたび取り上げられた職人さんとのご縁を頂き只今は本堂正面上方の欄間とその周囲の梁、梁と桁にかかる荷重を柱にかけ屋根を支える斗供や彫り物の煤払いと木材のあく取りにかかっています。梁の汚れは長年気になっていました。今回のような機会がなければ汚れを取り除くのは難しい事でした。
欄間は阿弥陀様と同じろうそくの煙をまとい黒くなった部分を落として頂きます。また、今回ははげてしまっている金箔の置き直しと彩色、金具の洗い、塗りの磨きもして頂きます、
日頃よりお寺を気にかけてくださるご門徒様方のご助力により、一つ一つ修復が完成してゆきます。安泉寺を皆様と共に次代に引き継いでゆく事が出来て嬉しいことです。
若い方、子供達にも喜んで頂ける事を念じています。
八月の行事
6 日(木)午前10時半~ ピラティス
7 日(金)午後2時~ 仏教コーラスの会
9 日(日)午後1時~おみがき清掃ご奉仕
盂蘭盆会
14日(金)午前11時・午後1・3時・夕方7時
15日(土)午前11時・午後1時
*今回コロナウイルスの感染予防の観点から 右記の計6座、かつ密にならないよう、ご 参詣人数等を当寺にて調整させていただき、 改めましてご案内をご送付申し上げます。
27日(木)午後2時~ 仏教民謡踊りの会
九月の行事
3 日(木)午前10時半~ ピラティス
秋季彼岸会
9月19日(土)午後2時~ 夕方6時~
ご講師 専光寺 髙島光陽師
24日(木)午後2時~ 仏教民謡踊りの会
*コロナ禍の終息状況によっては行事変更もあり得ます。
悪しからずご了承下さいませ。
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