2020.09.01ブログ
法悦 9月
法 悦 9月号 840号
母去りて
はじめて親の恩を知り
母去りて
いのちの重さを知り
母去りて
身の無力を知り
母去りて
はじめて人間を知る
尊きは
去りてはじめて
母となりしひと
藤元正樹
青色青光
人はみな、失ってはじめて、そのかけがえのなさに気付くもの
なのでしょうか?
今年のお盆はコロナ禍のため、
大切にしたい人とこそ、より距離を取らねばならないと、ふるさとへの帰省も叶わず、淋しく過ごされた方が多くおられました。
盆暮れにはふるさとに帰省をして墓参りをし、家族親族や、幼なじみ同士が近況を知らせあったり、旧交を温め合う、そんなことすら困難になってしまいました。
今まで当たり前だと思ってきたことが、実は当たり前などということはなく、様々な条件がすべて整って、はじめて物事は成り立っている、という厳然たる事実を、改めて突きつけられた、ということに他なりません。
上記の詩は、師が母君を見送られたときの思いを詠まれたもので、分かったつもりでいた事の、そのかけがえのない尊さに、亡き母が自らの死をもって気付かせて下さった。
正に「善知識」としてのお働きを、人生の最後に果たして下さった、そのことへの深い謝念と、真実の母に遇い得た感慨が詠われているのです。
じつに人生は「永劫の初ごと」、当たり前の事などひとつとして有りはしない、全てが因縁所生の賜物であったと頂かれるのです。
住職日々随想
難病ALS患者の女性に対する
嘱託殺人により二人の医師が逮捕
されました。その報道を受け、
元東京都知事の作家、石原慎太郎氏
が「業病のALSに侵され、自殺のための身動きも出来ぬ女性が、尊厳死を願って相談した二人の医師が、薬を与え手助けした事で『殺害』容疑で起訴された」と事件を説明。その上で「武士道の切腹の際の苦しみを救うための、介錯の美徳も知らぬ検察の愚かしさに腹が立つ。裁判の折り、私は是非とも医師たちの弁護人として法廷に立ちたい」とSNSで発信しました。
このあまりにも傲慢で大時代的、間違いだらけの発言に、世間の批判を浴び、謝罪撤回されましたが、実際こういった発言に、賛意を示される方が少なからずおられると推察されることは、極めて憂慮すべき事ではないでしょうか。
まず「業病」という表現ですが、かつてハンセン病やエイズ、また水俣病などの公害病等、様々な病に対して、あたかも患者の過去の行いなどによって、難治の病を得たんだと、諦めを促すために、仏教の因果の道理が誤って用いられ、業病と差別してきた歴史があります。
更に言えば、安易に「尊厳死」を語ることは、老病死を免れられない自身を忘れていることに他ならないのではないでしょうか?
以前、ある僧侶の方が語って下さった事なのですが、その方がいわゆる、「いのちのホットライン」で、一人の自死念慮者の男性とやりとりするうち、ある確信を持ったと仰っていました。
ある夜、彼がボランティアで当番をしていると、一人の男性から電話がありました。彼が「死にたいんです。」と言うので、早まらぬように諭し、様々話を聞く内に、どうにも疑問がわいてきたので、「あなたのお話を伺っていて、大変な困難を抱えて苦しんでおられる、そのことはよく分かるのですが、死にたいとは聞こえないんですが、どうなんですか?」と、件の男性にぶつけてみたところ、男性は「いえ私は死にたいんです。」と仰るので、「本当にそうですか?」と重ねて問うと、しばらくの沈黙の後、「そう仰られれば、そうかも知れません。」と…
このやりとりの中で彼は「死にたい人は一人もいない。ただ生きることに辛さと困難を抱えておられる方はたくさんいる。だから、生きるための支援をすることこそが必要なんだ。今、支援する側の自分が、逆に、いつ支援してもらわなければならないようになるかも、分からないんだから」と、まさに「尊厳ある生」を支え合う事こそが、大切と確信したそうです。
誰もが「我が事」として問い直すべきなのです。
坊守便り
ー盂蘭盆会のお勤めー
今年は梅雨の集中豪雨の後は、
暑い毎日が続いています。
危険な程の暑さで熱中症が警戒
される中、コロナウィルスの感染予防に配慮し、盂蘭盆会を勤めさせて頂きました。
昨年までは午後から開始していたお勤めの時間を、今年は午前始まりとさせて頂き、事前にお越し頂く時間をお聞きして、程よい人数に振り分けをさせて頂きまました。
また午前や午後早々のご希望が多い事もわかり、とても参考になりました。
お盆は休暇を取られる方も多く、旅行に出かけられる方も多い中、90歳を数えるおばあ様から生まれて1年の赤ちゃんと4世代でお参り頂き、亡き方を家族でご供養くださる一家もありました。
ご先祖様を偲び、また新しく家族の一員となった赤ちゃんの健やかな成長を願い、生命の大切な事を、法要を通して感じて頂けたのではと、ありがたく思いました。
この度の大屋根修復事業では、手水舎にお釈迦様の一生を石版に彫って頂いた石仏をお迎えしました お悟りを開かれた姿、涅槃に入られる姿、中央にお誕生になった姿が彫られています。
お釈迦様がお生まれになった時に、右手で天を指し左手で大地を指して「天上天下唯我独尊」と、お唱えになった姿を誕生仏として彫らせて頂きました。
お釈迦様のお姿は「すべて命に差別はなく、皆平等に尊い」と教えて下さいます。
新しく誕生仏をお迎えし、いのちの大切な事をお伝えしていきたいことです。
九月の行事
3 日(木)午前10時半~ ピラティス
秋季彼岸会 9月19日(土)午後2時~ 夕方6時~
ご講師 専光寺 髙島光陽師
24日(木)午後2時~ 仏教民謡踊りの会
十月の行事
1 日(木)午前10時半~ ピラティス
17日(土)午後4時~
祥月講・同朋の会聞法会
ご講師 圓龍寺 門井 斉師
22日(木)午後2時~ 仏教民謡踊りの会
*コロナ禍の終息状況によっては、行事変更もあり得ます。悪しからずご了承下さいませ。
尚、感染予防に留意して準備をしておりますが、お越しの節はマスク等の
ご着用をお願い申し上げます。
母去りて
はじめて親の恩を知り
母去りて
いのちの重さを知り
母去りて
身の無力を知り
母去りて
はじめて人間を知る
尊きは
去りてはじめて
母となりしひと
藤元正樹
青色青光
人はみな、失ってはじめて、そのかけがえのなさに気付くもの
なのでしょうか?
今年のお盆はコロナ禍のため、
大切にしたい人とこそ、より距離を取らねばならないと、ふるさとへの帰省も叶わず、淋しく過ごされた方が多くおられました。
盆暮れにはふるさとに帰省をして墓参りをし、家族親族や、幼なじみ同士が近況を知らせあったり、旧交を温め合う、そんなことすら困難になってしまいました。
今まで当たり前だと思ってきたことが、実は当たり前などということはなく、様々な条件がすべて整って、はじめて物事は成り立っている、という厳然たる事実を、改めて突きつけられた、ということに他なりません。
上記の詩は、師が母君を見送られたときの思いを詠まれたもので、分かったつもりでいた事の、そのかけがえのない尊さに、亡き母が自らの死をもって気付かせて下さった。
正に「善知識」としてのお働きを、人生の最後に果たして下さった、そのことへの深い謝念と、真実の母に遇い得た感慨が詠われているのです。
じつに人生は「永劫の初ごと」、当たり前の事などひとつとして有りはしない、全てが因縁所生の賜物であったと頂かれるのです。
住職日々随想
難病ALS患者の女性に対する
嘱託殺人により二人の医師が逮捕
されました。その報道を受け、
元東京都知事の作家、石原慎太郎氏
が「業病のALSに侵され、自殺のための身動きも出来ぬ女性が、尊厳死を願って相談した二人の医師が、薬を与え手助けした事で『殺害』容疑で起訴された」と事件を説明。その上で「武士道の切腹の際の苦しみを救うための、介錯の美徳も知らぬ検察の愚かしさに腹が立つ。裁判の折り、私は是非とも医師たちの弁護人として法廷に立ちたい」とSNSで発信しました。
このあまりにも傲慢で大時代的、間違いだらけの発言に、世間の批判を浴び、謝罪撤回されましたが、実際こういった発言に、賛意を示される方が少なからずおられると推察されることは、極めて憂慮すべき事ではないでしょうか。
まず「業病」という表現ですが、かつてハンセン病やエイズ、また水俣病などの公害病等、様々な病に対して、あたかも患者の過去の行いなどによって、難治の病を得たんだと、諦めを促すために、仏教の因果の道理が誤って用いられ、業病と差別してきた歴史があります。
更に言えば、安易に「尊厳死」を語ることは、老病死を免れられない自身を忘れていることに他ならないのではないでしょうか?
以前、ある僧侶の方が語って下さった事なのですが、その方がいわゆる、「いのちのホットライン」で、一人の自死念慮者の男性とやりとりするうち、ある確信を持ったと仰っていました。
ある夜、彼がボランティアで当番をしていると、一人の男性から電話がありました。彼が「死にたいんです。」と言うので、早まらぬように諭し、様々話を聞く内に、どうにも疑問がわいてきたので、「あなたのお話を伺っていて、大変な困難を抱えて苦しんでおられる、そのことはよく分かるのですが、死にたいとは聞こえないんですが、どうなんですか?」と、件の男性にぶつけてみたところ、男性は「いえ私は死にたいんです。」と仰るので、「本当にそうですか?」と重ねて問うと、しばらくの沈黙の後、「そう仰られれば、そうかも知れません。」と…
このやりとりの中で彼は「死にたい人は一人もいない。ただ生きることに辛さと困難を抱えておられる方はたくさんいる。だから、生きるための支援をすることこそが必要なんだ。今、支援する側の自分が、逆に、いつ支援してもらわなければならないようになるかも、分からないんだから」と、まさに「尊厳ある生」を支え合う事こそが、大切と確信したそうです。
誰もが「我が事」として問い直すべきなのです。
坊守便り
ー盂蘭盆会のお勤めー
今年は梅雨の集中豪雨の後は、
暑い毎日が続いています。
危険な程の暑さで熱中症が警戒
される中、コロナウィルスの感染予防に配慮し、盂蘭盆会を勤めさせて頂きました。
昨年までは午後から開始していたお勤めの時間を、今年は午前始まりとさせて頂き、事前にお越し頂く時間をお聞きして、程よい人数に振り分けをさせて頂きまました。
また午前や午後早々のご希望が多い事もわかり、とても参考になりました。
お盆は休暇を取られる方も多く、旅行に出かけられる方も多い中、90歳を数えるおばあ様から生まれて1年の赤ちゃんと4世代でお参り頂き、亡き方を家族でご供養くださる一家もありました。
ご先祖様を偲び、また新しく家族の一員となった赤ちゃんの健やかな成長を願い、生命の大切な事を、法要を通して感じて頂けたのではと、ありがたく思いました。
この度の大屋根修復事業では、手水舎にお釈迦様の一生を石版に彫って頂いた石仏をお迎えしました お悟りを開かれた姿、涅槃に入られる姿、中央にお誕生になった姿が彫られています。
お釈迦様がお生まれになった時に、右手で天を指し左手で大地を指して「天上天下唯我独尊」と、お唱えになった姿を誕生仏として彫らせて頂きました。
お釈迦様のお姿は「すべて命に差別はなく、皆平等に尊い」と教えて下さいます。
新しく誕生仏をお迎えし、いのちの大切な事をお伝えしていきたいことです。
九月の行事
3 日(木)午前10時半~ ピラティス
秋季彼岸会 9月19日(土)午後2時~ 夕方6時~
ご講師 専光寺 髙島光陽師
24日(木)午後2時~ 仏教民謡踊りの会
十月の行事
1 日(木)午前10時半~ ピラティス
17日(土)午後4時~
祥月講・同朋の会聞法会
ご講師 圓龍寺 門井 斉師
22日(木)午後2時~ 仏教民謡踊りの会
*コロナ禍の終息状況によっては、行事変更もあり得ます。悪しからずご了承下さいませ。
尚、感染予防に留意して準備をしておりますが、お越しの節はマスク等の
ご着用をお願い申し上げます。
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