2020.10.27ブログ
法悦 11月
法 悦 11月号 842号
道を求めることがなければ
迷うということはあるまい
求道が迷いの始まりである。
迷いのなくなる救いよりも
どこまでも安んじて
迷っていける道があった。
そのことがたのもしい。
安田 理深
青色青光
コロナ禍によって、世界中が先の見えない不安におののいています。
しかし、よくよく思案を巡らせてみますと、いつの世いつの時にも、
私たちは何かしらの不安を抱えて生きてきたのではないでしょうか?
ただ不安とは、不安を感じるとは何なのか、そのことが明らかにならないまま、
何か得体の知れないものに、ただただおびえているだけなのではないでしょうか?
果たして、「不安と安心」とは相対立するものなのでしょうか?
また、安心とは不安を取り払った先に、得られるものなのでしょうか?
様々な疑問がわき上がってきます。
息つく暇もなく変わり続ける世相、安心するための情報を求め、
かえって情報の洪水におぼれ、さらなる不安にあえぐ、という事になっていはしないでしょうか
浄土真宗の教学者、安田理深師は「不安に立つ」という視座を我々に与えて下さいました。
「不安」というのは、人間を日頃の生活では忘れてしまっている深みへと呼び戻すものであり、
本願の智慧が、不安という形で、私たちの元へ至り届くのだと、
安易な答えに座り込んだり、自分本位の安心感に浸ったりせず、
むしろ不安のただ中に、身を置き続けることの大切さを説いておられます。
住職日々随想
私たちはしばしば、見たくないものは見ない、見ないものは無い
ものとして、考えることすらしない、ということがあります。
分けても最も見たくないもの、「老病死」の苦は、誰れもが逃れることの出来ない、
根源的な苦しみであり、それこそがまさに生死無常の「身の事実」なのです。
そうでありながら、ややもすれば、いつまでも変わらぬ事を望む自らの「思い」
をこそ私として、我が「身の事実」を忘れ、思いもよらぬ現実に遭遇した時、
「何で私がこんな目に遭わなけりゃいけないのか」と愚痴に沈む、ということを
繰り返してはいないでしょうか。
石川県松任の松本梶丸師のお寺のご門徒に、山崎ヨンさんという、篤信の方がおられました。
この山崎さんの所に、ある新興宗教の勧誘の方が来られました。
そして、「お婆ちゃんいろいろ不安があるやろ、私らその不安を取り除いてあげる
お手伝いをしてるんや。いっぺん話し聞きにけえへんか?」とのお誘いに、
「不安だらけの世の中やからねえ、ほんまにご苦労さん。けどな、この不安あんたらに
あげてしもうたら、ウラなにを頼りに生きていったらエエがやろ、不安は私のいのちやもん」と
、帰り際、勧誘の方が、「婆ちゃんの額から後光がさしとる」と言い残して帰られたそうです。
ヨンさんは若い頃に結婚に失敗し、離婚したときには、すでに身ごもっていました。
そして生まれた子供が障がい児でした。
今日でも障がい児を育てておられるシングルマザーのご苦労は大変なものです。
ましてや、昭和初期の頃ともなれば、世間の差別や偏見も強く、そのご苦労は
想像以上のものがあったことでしょう。
深い絶望の中、その子を背負い、「二人であの世へ行こう。どうか極楽に行く
道を教えて下さい」と、6、7年間あちらこちらの寺を尋ね回わられたそうです。
そして「『この子が居るために自分が犠牲になった』とかつては娘を白い眼で見たことも
あったが、娘さえも邪魔者扱いするそんな自分の心を鬼の心、人殺しの心だと見る眼を
私はいただいた。鬼を見る眼をいただけた今、やっと、『私を迷わせ、お念仏の世界に
立たせるために、この子の方が私の犠牲になってくれた』と手を合わすことができた。
先行き不安は拭えないけれど、子供と後生の問題とが、縄のように自分を支えている。
これが自分の生命やと思うております。」と。
南無阿弥陀仏と共に歩む、こんな覚悟を持った方を惑わすものなど、
もはや何もありはしないでしょう。
坊守便り
ー 手水舎の水鉢 ー
本堂修復百年事業に伴い、建築当時に造られた水鉢を天水受け
の右手に移動しました。
その足元に大正9年14代住職の名前と、当寺の世話役会「眞榮講」の名前が記されています。
この事を前住職に話しますと。「それは頼母子講ですな。」と答えられました。
頼母子講は別名「無尽」とも呼ばれます。ご近所で風呂を貸し合う「風呂無尽」、
本代をやりくりし合う「書籍無尽」、そして旅の費用を積み立てる「旅行無尽」、
甲州地方に昔からあった伝統的な人付き合いの形ですが、鎌倉時代には
全国各地でも見られたそうです。
懇親の会と庶民金融を兼ねる内容で、親しい仲間が毎月のように集い、
飲食のみでなく、その場で出し合う掛け金を、基金として積み立て、必要な人に貸し与える。
学生時代の友人同士や、親しい同業者など、様々に助け合っていく、
互助的なものであるという事です。
14代、俊譲住職の頃には、よく門徒の皆さんと旅行に出かけた事もお聞きしました。
百年前に皆で力を合わせて本堂を立て直し、積み立てをして、再々旅行にも出かけられた、
そのような歴史を、眞榮講の水鉢を通して思い馳せる事です。
十一月の行事
8 日(日)午後1時~おみがき清掃ご奉仕
12日(木)報恩講午後2時~ 大逮夜勤行
ご法話に引き続き 御伝鈔拝読
(今年の報恩講はコロナ禍の為
12日のみとなります。)
19日(木)午前10時半~ ピラティス
19日(木)午後2時~ 仏教民謡踊りの会
十二月の行事
3 日(木)午前10時半~ ピラティス
10日(木)午後2時~ 仏教民謡踊りの会
12日(土)午後2時~ 祥月講・同朋の会
ご講師円明寺住職 髙島 章師
17日(木)午前10時半~ ピラティス
20日(土)午後1時~おみがき清掃ご奉仕
*今年は感染予防の観点より、年末の懇親会は行 いません。
*コロナ禍の状況に依りましては、急な行事変更 もあり得ます。
尚、感染予防に留意して準備しておりますが、お越しの節はマスク等のご着用をお願い致します。
道を求めることがなければ
迷うということはあるまい
求道が迷いの始まりである。
迷いのなくなる救いよりも
どこまでも安んじて
迷っていける道があった。
そのことがたのもしい。
安田 理深
青色青光
コロナ禍によって、世界中が先の見えない不安におののいています。
しかし、よくよく思案を巡らせてみますと、いつの世いつの時にも、
私たちは何かしらの不安を抱えて生きてきたのではないでしょうか?
ただ不安とは、不安を感じるとは何なのか、そのことが明らかにならないまま、
何か得体の知れないものに、ただただおびえているだけなのではないでしょうか?
果たして、「不安と安心」とは相対立するものなのでしょうか?
また、安心とは不安を取り払った先に、得られるものなのでしょうか?
様々な疑問がわき上がってきます。
息つく暇もなく変わり続ける世相、安心するための情報を求め、
かえって情報の洪水におぼれ、さらなる不安にあえぐ、という事になっていはしないでしょうか
浄土真宗の教学者、安田理深師は「不安に立つ」という視座を我々に与えて下さいました。
「不安」というのは、人間を日頃の生活では忘れてしまっている深みへと呼び戻すものであり、
本願の智慧が、不安という形で、私たちの元へ至り届くのだと、
安易な答えに座り込んだり、自分本位の安心感に浸ったりせず、
むしろ不安のただ中に、身を置き続けることの大切さを説いておられます。
住職日々随想
私たちはしばしば、見たくないものは見ない、見ないものは無い
ものとして、考えることすらしない、ということがあります。
分けても最も見たくないもの、「老病死」の苦は、誰れもが逃れることの出来ない、
根源的な苦しみであり、それこそがまさに生死無常の「身の事実」なのです。
そうでありながら、ややもすれば、いつまでも変わらぬ事を望む自らの「思い」
をこそ私として、我が「身の事実」を忘れ、思いもよらぬ現実に遭遇した時、
「何で私がこんな目に遭わなけりゃいけないのか」と愚痴に沈む、ということを
繰り返してはいないでしょうか。
石川県松任の松本梶丸師のお寺のご門徒に、山崎ヨンさんという、篤信の方がおられました。
この山崎さんの所に、ある新興宗教の勧誘の方が来られました。
そして、「お婆ちゃんいろいろ不安があるやろ、私らその不安を取り除いてあげる
お手伝いをしてるんや。いっぺん話し聞きにけえへんか?」とのお誘いに、
「不安だらけの世の中やからねえ、ほんまにご苦労さん。けどな、この不安あんたらに
あげてしもうたら、ウラなにを頼りに生きていったらエエがやろ、不安は私のいのちやもん」と
、帰り際、勧誘の方が、「婆ちゃんの額から後光がさしとる」と言い残して帰られたそうです。
ヨンさんは若い頃に結婚に失敗し、離婚したときには、すでに身ごもっていました。
そして生まれた子供が障がい児でした。
今日でも障がい児を育てておられるシングルマザーのご苦労は大変なものです。
ましてや、昭和初期の頃ともなれば、世間の差別や偏見も強く、そのご苦労は
想像以上のものがあったことでしょう。
深い絶望の中、その子を背負い、「二人であの世へ行こう。どうか極楽に行く
道を教えて下さい」と、6、7年間あちらこちらの寺を尋ね回わられたそうです。
そして「『この子が居るために自分が犠牲になった』とかつては娘を白い眼で見たことも
あったが、娘さえも邪魔者扱いするそんな自分の心を鬼の心、人殺しの心だと見る眼を
私はいただいた。鬼を見る眼をいただけた今、やっと、『私を迷わせ、お念仏の世界に
立たせるために、この子の方が私の犠牲になってくれた』と手を合わすことができた。
先行き不安は拭えないけれど、子供と後生の問題とが、縄のように自分を支えている。
これが自分の生命やと思うております。」と。
南無阿弥陀仏と共に歩む、こんな覚悟を持った方を惑わすものなど、
もはや何もありはしないでしょう。
坊守便り
ー 手水舎の水鉢 ー
本堂修復百年事業に伴い、建築当時に造られた水鉢を天水受け
の右手に移動しました。
その足元に大正9年14代住職の名前と、当寺の世話役会「眞榮講」の名前が記されています。
この事を前住職に話しますと。「それは頼母子講ですな。」と答えられました。
頼母子講は別名「無尽」とも呼ばれます。ご近所で風呂を貸し合う「風呂無尽」、
本代をやりくりし合う「書籍無尽」、そして旅の費用を積み立てる「旅行無尽」、
甲州地方に昔からあった伝統的な人付き合いの形ですが、鎌倉時代には
全国各地でも見られたそうです。
懇親の会と庶民金融を兼ねる内容で、親しい仲間が毎月のように集い、
飲食のみでなく、その場で出し合う掛け金を、基金として積み立て、必要な人に貸し与える。
学生時代の友人同士や、親しい同業者など、様々に助け合っていく、
互助的なものであるという事です。
14代、俊譲住職の頃には、よく門徒の皆さんと旅行に出かけた事もお聞きしました。
百年前に皆で力を合わせて本堂を立て直し、積み立てをして、再々旅行にも出かけられた、
そのような歴史を、眞榮講の水鉢を通して思い馳せる事です。
十一月の行事
8 日(日)午後1時~おみがき清掃ご奉仕
12日(木)報恩講午後2時~ 大逮夜勤行
ご法話に引き続き 御伝鈔拝読
(今年の報恩講はコロナ禍の為
12日のみとなります。)
19日(木)午前10時半~ ピラティス
19日(木)午後2時~ 仏教民謡踊りの会
十二月の行事
3 日(木)午前10時半~ ピラティス
10日(木)午後2時~ 仏教民謡踊りの会
12日(土)午後2時~ 祥月講・同朋の会
ご講師円明寺住職 髙島 章師
17日(木)午前10時半~ ピラティス
20日(土)午後1時~おみがき清掃ご奉仕
*今年は感染予防の観点より、年末の懇親会は行 いません。
*コロナ禍の状況に依りましては、急な行事変更 もあり得ます。
尚、感染予防に留意して準備しておりますが、お越しの節はマスク等のご着用をお願い致します。
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