2021.02.01ブログ
法悦 2021年 2月
法 悦 2月号 845号
こ こ
谷川俊太郎
どっかに行こうと私が言う
どこ行こうかとあなたが言う
ここもいいなと私が言う
ここでもいいねとあなたが言う
言ってるうちに日が暮れて
ここがどこかになっていく
青色青光
新型コロナウイルスの感染再拡大を受け、
緊急事態宣言が再び発出されました。
飲食を伴う集まりは感染を広げるリスクが高いと、飲食店には時短要請が出され、
一般の人々にも不要不急の外出は控えて欲しいと、呼びかけられています。
日常生活や経済への打撃は計り知れないものがあり、一日も早い感染収束が願われます。
そのような苦しい状況ですが、ささやかながら喜びや、大事な気付きも得られました。
先日、あるお一人暮らしの高齢のご門徒さん宅に伺い、年末年始はどう過ごされたのかを
お訊ねしたところ、「遠方に暮らす子供たちが私を気遣って、帰ってこようかと言ってくれ
ましたが、こちらの方から帰ってこなくて良い」と、老親に対する負い目を感じさせないように、
お子たちの申し出を断られたそうです。
「それは良かった。たとえ会えなくても、ご互いをいたわる思いは、ちゃんと通じていますよ」と、
人の優しさが身にしみ、共に喜ばせて頂いたことでした。
又、今まで当たり前の事としてきた日常、それこそ家族は元気で当たり前、仕事はできて当たり前、
学校には通えて当たり前、人と人は会えて当たり前等々、それら全てが実は何一つとして当たり前
などではなかった、一つでも条件が整わなければ、何もなしえない、 まさに「有ることの難い事」
「有り難い、掛け替えのない事」であったと、改めて思い至らされた事です。
住職日々随想
現在大谷大学の学長をしておられる
木越康師が、新入学生に対する授業で、
用紙を一枚配られ、「どの様な些細な事
でも構いません、あなたの願い事を書いて下さい。」と言われました。学生たちは賑やかに
わいわい言いながら、「彼氏、彼女が欲しい」「お気に入りのアイドルに会いたい」
「おいしい物をたくさん食べたい」等々、それぞれ今すぐ思いつく願い事を書きました。
その後、「今度はあなたの本当の願いを書いて下さい。」と言うと、今まで賑やかにおしゃべり
していた学生たちがぴたりと静まり、真剣に考え始めました。
様々な回答があったそうですが、その中には「本当の私に出遇いたい」「生まれた意義が知りたい」等々、
いずれも深く自身の内面を見つめなければ、出てこない様なものが多く見られ、先生ご自身も随分驚かれたそうです。
よく本音と建て前などと言うことを申しますが、そういう表層的なものの、更にその奥の深みに、
「真実の願い」「いのちの願い」とも言うべきものが、全てのいのちあるものの中に流れていると仏教は教えます。
まさに「本有の願」、自我に目覚めて以来、「私」と思ってきた我に先立って、常に流れ続けてきた、
もとから存在していた「いのちの願い」があるのです。
一切有情、言わば生きとし生けるものは全て、いのちの通りに生き、そして死んでいき、そこに迷いは
ありません。ところが、人間だけはいのちの通りに生きる事を拒み、生き方に迷い続ける存在なのです。
大谷派では、宗祖親鸞聖人七五〇回御遠忌テーマに「今、いのちがあなたを生きている」と掲げています。
多くの人が至極当然のように、私がいのちを生きている、いのちは私のもの、私に属するもの、
と思っていますから、このテーマは間違っているのでは、とよく疑問を口にされました。
しかし、よくよく、み教えに尋ねてみますと、じつに生まれたときから自分の望む時に、望む両親の下に
生まれた者はなく、気が付けば私として自身を生きてきた、つまり生まれた時からすでにして思い通りなど
ではなく、また、いのち終える時も思い通りにはならない存在、と教えられるのです。
始めから終わりまで思い通りにならぬ人生、なのに身の事実に背き続け、あいだだけでも何とかしたいと、
我々は四苦八苦いたします。
そんな我ら凡夫に、本有の願い、ご本願の世界から「我が名、南無阿弥陀仏と称え、いのちの故郷、
我が浄土に帰り来たって、どうか人間を成就しておくれ」と、如来が呼びかけ続けておられます。
安心して迷っていける人生、帰すべき拠り所はそこにこそあります。
そうです、私の思いに先立って、今まさに仏道を歩む者としての私の誕生が、如来の側より、
深く願われているのです。
坊守便り
ー東本願寺門首継承式ー
去る十一月のご本山の報恩講の前日に新門首の継承式が行われました。
またとない歴史の節目だったですが、コロナ禍のため、限られた方々
のみの参加となってしまいました。
大谷暢裕新門首は、一歳の時からブラジルで過ごされた方ですので、今回の就任
の表白(宣誓)は日本語、英語、ポルトガル語の三カ国語で世界中に配信されました。
また、ご門首の就任と同時に、ご長男裕師が、次期門首候補者となる、新門に就任されました。
大谷暢裕新門首は表白の中で、まず大谷暢顯前門首が二十四年間、その重責を全うされた事
への敬意を伝えられました。
殊にその在任中、蓮如上人五〇〇回ご遠忌、宗祖親鸞聖人七五〇回大遠忌、東日本大震災追悼法要、
十数年に及ぶ両堂のご修復工事等々、数多くの大事業に臨まれたご苦労にふれられました。
そして、親鸞聖人が越後に流された苦難の中でも、仏道が妨げられる事はなかった事、さらに、
その後のご教化で示されたお姿に触れ、ご自身も貧困や格差の拡がる生きにくい現代社会、
不安にあえぐ多くの人々に対して、国籍・人種・性別・年齢に関係なく、平等に生の実感を与える
「南無阿弥陀仏」を世界中の人々に届ける事が使命であると宣言されました。
結びに、念仏の僧伽が人々に立ち上がって生きる力を与え、その精神が永く相続され引き継がれて
いくことを願いとし、その職責を全うしていくことを誓われました。
新門首をお迎えし、ご本山も新たな歩みが始まります。ぜひ皆様と共に見守って参りたい事でございます。
二月の行事
20日(土)午後4時~
祥月講・同朋の会聞法会
法話 住職
25日(木)午前10時半~ピラティス
午後2時~仏教民謡踊りの会
三月の行事
20日(土)午後2時・夕方6時
春季彼岸会永代経法要
詳細 未定
(後日ご案内申し上げます)
25日(木)午前10時半~ピラティス
午後2時~仏教民謡踊りの会
*コロナ禍の状況に依りましては、急な行事変更もあり得ます。
尚、感染予防に留意して準備致しておりますが、お越しの節はマスク等のご着用
を、宜しくお願い申し上げます。
こ こ
谷川俊太郎
どっかに行こうと私が言う
どこ行こうかとあなたが言う
ここもいいなと私が言う
ここでもいいねとあなたが言う
言ってるうちに日が暮れて
ここがどこかになっていく
青色青光
新型コロナウイルスの感染再拡大を受け、
緊急事態宣言が再び発出されました。
飲食を伴う集まりは感染を広げるリスクが高いと、飲食店には時短要請が出され、
一般の人々にも不要不急の外出は控えて欲しいと、呼びかけられています。
日常生活や経済への打撃は計り知れないものがあり、一日も早い感染収束が願われます。
そのような苦しい状況ですが、ささやかながら喜びや、大事な気付きも得られました。
先日、あるお一人暮らしの高齢のご門徒さん宅に伺い、年末年始はどう過ごされたのかを
お訊ねしたところ、「遠方に暮らす子供たちが私を気遣って、帰ってこようかと言ってくれ
ましたが、こちらの方から帰ってこなくて良い」と、老親に対する負い目を感じさせないように、
お子たちの申し出を断られたそうです。
「それは良かった。たとえ会えなくても、ご互いをいたわる思いは、ちゃんと通じていますよ」と、
人の優しさが身にしみ、共に喜ばせて頂いたことでした。
又、今まで当たり前の事としてきた日常、それこそ家族は元気で当たり前、仕事はできて当たり前、
学校には通えて当たり前、人と人は会えて当たり前等々、それら全てが実は何一つとして当たり前
などではなかった、一つでも条件が整わなければ、何もなしえない、 まさに「有ることの難い事」
「有り難い、掛け替えのない事」であったと、改めて思い至らされた事です。
住職日々随想
現在大谷大学の学長をしておられる
木越康師が、新入学生に対する授業で、
用紙を一枚配られ、「どの様な些細な事
でも構いません、あなたの願い事を書いて下さい。」と言われました。学生たちは賑やかに
わいわい言いながら、「彼氏、彼女が欲しい」「お気に入りのアイドルに会いたい」
「おいしい物をたくさん食べたい」等々、それぞれ今すぐ思いつく願い事を書きました。
その後、「今度はあなたの本当の願いを書いて下さい。」と言うと、今まで賑やかにおしゃべり
していた学生たちがぴたりと静まり、真剣に考え始めました。
様々な回答があったそうですが、その中には「本当の私に出遇いたい」「生まれた意義が知りたい」等々、
いずれも深く自身の内面を見つめなければ、出てこない様なものが多く見られ、先生ご自身も随分驚かれたそうです。
よく本音と建て前などと言うことを申しますが、そういう表層的なものの、更にその奥の深みに、
「真実の願い」「いのちの願い」とも言うべきものが、全てのいのちあるものの中に流れていると仏教は教えます。
まさに「本有の願」、自我に目覚めて以来、「私」と思ってきた我に先立って、常に流れ続けてきた、
もとから存在していた「いのちの願い」があるのです。
一切有情、言わば生きとし生けるものは全て、いのちの通りに生き、そして死んでいき、そこに迷いは
ありません。ところが、人間だけはいのちの通りに生きる事を拒み、生き方に迷い続ける存在なのです。
大谷派では、宗祖親鸞聖人七五〇回御遠忌テーマに「今、いのちがあなたを生きている」と掲げています。
多くの人が至極当然のように、私がいのちを生きている、いのちは私のもの、私に属するもの、
と思っていますから、このテーマは間違っているのでは、とよく疑問を口にされました。
しかし、よくよく、み教えに尋ねてみますと、じつに生まれたときから自分の望む時に、望む両親の下に
生まれた者はなく、気が付けば私として自身を生きてきた、つまり生まれた時からすでにして思い通りなど
ではなく、また、いのち終える時も思い通りにはならない存在、と教えられるのです。
始めから終わりまで思い通りにならぬ人生、なのに身の事実に背き続け、あいだだけでも何とかしたいと、
我々は四苦八苦いたします。
そんな我ら凡夫に、本有の願い、ご本願の世界から「我が名、南無阿弥陀仏と称え、いのちの故郷、
我が浄土に帰り来たって、どうか人間を成就しておくれ」と、如来が呼びかけ続けておられます。
安心して迷っていける人生、帰すべき拠り所はそこにこそあります。
そうです、私の思いに先立って、今まさに仏道を歩む者としての私の誕生が、如来の側より、
深く願われているのです。
坊守便り
ー東本願寺門首継承式ー
去る十一月のご本山の報恩講の前日に新門首の継承式が行われました。
またとない歴史の節目だったですが、コロナ禍のため、限られた方々
のみの参加となってしまいました。
大谷暢裕新門首は、一歳の時からブラジルで過ごされた方ですので、今回の就任
の表白(宣誓)は日本語、英語、ポルトガル語の三カ国語で世界中に配信されました。
また、ご門首の就任と同時に、ご長男裕師が、次期門首候補者となる、新門に就任されました。
大谷暢裕新門首は表白の中で、まず大谷暢顯前門首が二十四年間、その重責を全うされた事
への敬意を伝えられました。
殊にその在任中、蓮如上人五〇〇回ご遠忌、宗祖親鸞聖人七五〇回大遠忌、東日本大震災追悼法要、
十数年に及ぶ両堂のご修復工事等々、数多くの大事業に臨まれたご苦労にふれられました。
そして、親鸞聖人が越後に流された苦難の中でも、仏道が妨げられる事はなかった事、さらに、
その後のご教化で示されたお姿に触れ、ご自身も貧困や格差の拡がる生きにくい現代社会、
不安にあえぐ多くの人々に対して、国籍・人種・性別・年齢に関係なく、平等に生の実感を与える
「南無阿弥陀仏」を世界中の人々に届ける事が使命であると宣言されました。
結びに、念仏の僧伽が人々に立ち上がって生きる力を与え、その精神が永く相続され引き継がれて
いくことを願いとし、その職責を全うしていくことを誓われました。
新門首をお迎えし、ご本山も新たな歩みが始まります。ぜひ皆様と共に見守って参りたい事でございます。
二月の行事
20日(土)午後4時~
祥月講・同朋の会聞法会
法話 住職
25日(木)午前10時半~ピラティス
午後2時~仏教民謡踊りの会
三月の行事
20日(土)午後2時・夕方6時
春季彼岸会永代経法要
詳細 未定
(後日ご案内申し上げます)
25日(木)午前10時半~ピラティス
午後2時~仏教民謡踊りの会
*コロナ禍の状況に依りましては、急な行事変更もあり得ます。
尚、感染予防に留意して準備致しておりますが、お越しの節はマスク等のご着用
を、宜しくお願い申し上げます。
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