2021.11.28ブログ
2021年11月
法 悦 11月号 854号
くらし 石垣りん
食わずには生きてゆけない
メシを
野菜を
肉を
空気を
光を
水を
親を
きょうだいを
師を
金もこころも
食わずには生きてこれなかった
ふくれた腹をかかえ
口をぬぐえば
台所にちらばつている
にんじんのしっぽ
鳥の骨
父のはらわた
四十の日暮れ
私の目にはじめてあふれる獣の涙
青色青光
「親ガチャ」聞き慣れない言葉
ですが、最近若者の間で使われる
ようになったそうです。
否応なく進む格差社会と貧困の連鎖の中で、
子供は親を選べない、どういう境遇に生まれるかは運次第
という思いを、ハンドルを回して運試しするガチャポンと
言うゲームなどになぞらえて表現したものです。
「親ガチャ外れた」などと我が子に言われたら、
ショックを受ける親御さんも少なからずおられることでしょう。
では仏教ではどう捉えているでしょうか?
善導大師の観経疏に、人として誕生するのは、自の業識
(ごっしき)つまり、生まれたいという内因と、父母の精血
という外縁の和合によるもので「両重の因縁」に依る、
と説いておられます。誰もが忘れているかも知れませんが、
あくまでも生まれたいと言う因があっってのこの身なのです。
前述のように言う子もいるかもしれません。
が、子供たちはどんな親であっても、心の底でその人を
許し包んでいるに違いないのです。
住職日々随想
ー明治の先学、清沢満之師は「人事を尽くして天命を待つ」
ではなく、「天命に安んじて、人事を尽くす」と、真宗門徒の
生活信条を表されました。ー
誰の人生にも、始まりと終わりが有ります。
いつ何時か、誰を母に、誰を父に生まれようとして、生まれて
きた人はいないでしょう。
気がついたら私は私として生まれていた。
じつに、生まれるとき思い通りにならないのと同様、死ぬとき
も思い通りにはなりません。たとえ、それが自ら選んだ死で
あったとしても、望みを無くし、追い詰められての事に違い
ないのですから、やはり思い通りとは言えないでしょう。
私たちは、始めも終わりも思い通りにはならないのに、
間だけは思い通り何とかしたい、夢見続け、努力さえし続ければ、
何時かは成就すると信じ、四苦八苦致します。
しかし、私たちすべてが業縁存在、ご縁次第でどうなっていくか、
誰にも分かりません。それ故、不安の尽きぬ人生ですが、不安は又、
確かなものを求めている、いのちそのものの叫び、無くすべきもの
ではなく、むしろ活かすべきものではないでしょうか。
近代大谷派を代表する仏教学者のお一人、安田理深師のご自宅が
火事に遭われました。
隣家から延焼して、先生の貴重な蔵書やノート類があらかた焼けてし
まったそうです。
先生の難を聞きつけた門人たちが駆けつけると、先生はわずかに焼け
残ったものの、水をかぶってしまった書籍などを運び出し、一枚一枚
丁寧にページを繰って、乾かそうとしておられたそうです。
普通の人間であれば、ショックで打ちのめされてしまうのかも知れ
ませんが、先生は「隣の家から火が出た。もらい火のせいで焼けて
しまった、と言う事かも知れません。
しかし事実として『焼かれた』のでも『焼いた』のでもない
『焼けたのだ』。
私の家がたまたまそこにあった、いわば存在責任はあるのです。
『焼けた』と言うところに立つことによって、事実を事実として
受けていける。自も他も損なわんで済む。こんな事を今度の火事で
学びました。」と語っておられたそうです。
そんな安田師は又「不安に立つ」という確かな視座を我々に
与えて下さいました。
坊守便り
報恩講 金子みすゞ
「お番」の晩は雪のころ
雪はなくても暗(やみ)のころ
くらい夜みちをお寺へつけば
とても大きな蝋燭と
とても大きなお火鉢で
明るい、明るい、あたたかい
大人はしっとりお話で
子どもは騒いじゃ叱られる
だけど明るくにぎやかで
友だちゃみんなよっていて
なにかしないじゃいられない
更けてお家にかえっても
なにかうれしい、ねられない
「お番」の晩は夜なかでも
からころ足駄の音がする
家族や近所中のひとが「お番」報恩講を待ち望んでいる、
そんな情景が伝わって来ます。
子供のみすずさんは、日暮れの早くなった頃おばあちゃんと
手をつないで「お番」に行くと友だちもみんな来ていて、
お斎を頂き、大きな蝋燭の灯りで親鸞様のご一代記を今年もお聞きする。
この季節が近づいてくると
心がうずうずしてきます。
今年も女性部の有志の皆さんと南御堂のお勤めに遇わせて
いただきます。新門首も就任後初めてご親修くださいます。
十一月の行事
4 日(木)午前10時半~ピラティス
7 日(日)午後1時~おみがき清掃ご奉仕
報 恩 講
12日(金)午後2時~大逮夜勤行・ご法話
引き続き 御伝鈔・ご法話
ご講師 泉大津南冥寺 戸次公正師
*コロナ禍ですので、報恩講を一日に短縮し、お斎のご接待も
行えませんので、お昼のご法話に引き続き、御伝鈔拝読を行います。
18日(木)午前10時半~ピラティス
午後2時~ 仏教民謡踊りの会十二月の行事
十二月の行事
2 日(木)午前10時半~ピラティス
4 日(土)午後2時~ 祥月講・同朋の会
講師未定
16日(木)午前10時半~ピラティス
午後2時~仏教民謡踊りの会
19日(日)午後2時~おみがき清掃ご奉仕31日(金)夜11時~歳暮勤行・除夜の鐘
31日(金)午後11時 歳暮勤行・除夜の鐘
くらし 石垣りん
食わずには生きてゆけない
メシを
野菜を
肉を
空気を
光を
水を
親を
きょうだいを
師を
金もこころも
食わずには生きてこれなかった
ふくれた腹をかかえ
口をぬぐえば
台所にちらばつている
にんじんのしっぽ
鳥の骨
父のはらわた
四十の日暮れ
私の目にはじめてあふれる獣の涙
青色青光
「親ガチャ」聞き慣れない言葉
ですが、最近若者の間で使われる
ようになったそうです。
否応なく進む格差社会と貧困の連鎖の中で、
子供は親を選べない、どういう境遇に生まれるかは運次第
という思いを、ハンドルを回して運試しするガチャポンと
言うゲームなどになぞらえて表現したものです。
「親ガチャ外れた」などと我が子に言われたら、
ショックを受ける親御さんも少なからずおられることでしょう。
では仏教ではどう捉えているでしょうか?
善導大師の観経疏に、人として誕生するのは、自の業識
(ごっしき)つまり、生まれたいという内因と、父母の精血
という外縁の和合によるもので「両重の因縁」に依る、
と説いておられます。誰もが忘れているかも知れませんが、
あくまでも生まれたいと言う因があっってのこの身なのです。
前述のように言う子もいるかもしれません。
が、子供たちはどんな親であっても、心の底でその人を
許し包んでいるに違いないのです。
住職日々随想
ー明治の先学、清沢満之師は「人事を尽くして天命を待つ」
ではなく、「天命に安んじて、人事を尽くす」と、真宗門徒の
生活信条を表されました。ー
誰の人生にも、始まりと終わりが有ります。
いつ何時か、誰を母に、誰を父に生まれようとして、生まれて
きた人はいないでしょう。
気がついたら私は私として生まれていた。
じつに、生まれるとき思い通りにならないのと同様、死ぬとき
も思い通りにはなりません。たとえ、それが自ら選んだ死で
あったとしても、望みを無くし、追い詰められての事に違い
ないのですから、やはり思い通りとは言えないでしょう。
私たちは、始めも終わりも思い通りにはならないのに、
間だけは思い通り何とかしたい、夢見続け、努力さえし続ければ、
何時かは成就すると信じ、四苦八苦致します。
しかし、私たちすべてが業縁存在、ご縁次第でどうなっていくか、
誰にも分かりません。それ故、不安の尽きぬ人生ですが、不安は又、
確かなものを求めている、いのちそのものの叫び、無くすべきもの
ではなく、むしろ活かすべきものではないでしょうか。
近代大谷派を代表する仏教学者のお一人、安田理深師のご自宅が
火事に遭われました。
隣家から延焼して、先生の貴重な蔵書やノート類があらかた焼けてし
まったそうです。
先生の難を聞きつけた門人たちが駆けつけると、先生はわずかに焼け
残ったものの、水をかぶってしまった書籍などを運び出し、一枚一枚
丁寧にページを繰って、乾かそうとしておられたそうです。
普通の人間であれば、ショックで打ちのめされてしまうのかも知れ
ませんが、先生は「隣の家から火が出た。もらい火のせいで焼けて
しまった、と言う事かも知れません。
しかし事実として『焼かれた』のでも『焼いた』のでもない
『焼けたのだ』。
私の家がたまたまそこにあった、いわば存在責任はあるのです。
『焼けた』と言うところに立つことによって、事実を事実として
受けていける。自も他も損なわんで済む。こんな事を今度の火事で
学びました。」と語っておられたそうです。
そんな安田師は又「不安に立つ」という確かな視座を我々に
与えて下さいました。
坊守便り
報恩講 金子みすゞ
「お番」の晩は雪のころ
雪はなくても暗(やみ)のころ
くらい夜みちをお寺へつけば
とても大きな蝋燭と
とても大きなお火鉢で
明るい、明るい、あたたかい
大人はしっとりお話で
子どもは騒いじゃ叱られる
だけど明るくにぎやかで
友だちゃみんなよっていて
なにかしないじゃいられない
更けてお家にかえっても
なにかうれしい、ねられない
「お番」の晩は夜なかでも
からころ足駄の音がする
家族や近所中のひとが「お番」報恩講を待ち望んでいる、
そんな情景が伝わって来ます。
子供のみすずさんは、日暮れの早くなった頃おばあちゃんと
手をつないで「お番」に行くと友だちもみんな来ていて、
お斎を頂き、大きな蝋燭の灯りで親鸞様のご一代記を今年もお聞きする。
この季節が近づいてくると
心がうずうずしてきます。
今年も女性部の有志の皆さんと南御堂のお勤めに遇わせて
いただきます。新門首も就任後初めてご親修くださいます。
十一月の行事
4 日(木)午前10時半~ピラティス
7 日(日)午後1時~おみがき清掃ご奉仕
報 恩 講
12日(金)午後2時~大逮夜勤行・ご法話
引き続き 御伝鈔・ご法話
ご講師 泉大津南冥寺 戸次公正師
*コロナ禍ですので、報恩講を一日に短縮し、お斎のご接待も
行えませんので、お昼のご法話に引き続き、御伝鈔拝読を行います。
18日(木)午前10時半~ピラティス
午後2時~ 仏教民謡踊りの会十二月の行事
十二月の行事
2 日(木)午前10時半~ピラティス
4 日(土)午後2時~ 祥月講・同朋の会
講師未定
16日(木)午前10時半~ピラティス
午後2時~仏教民謡踊りの会
19日(日)午後2時~おみがき清掃ご奉仕31日(金)夜11時~歳暮勤行・除夜の鐘
31日(金)午後11時 歳暮勤行・除夜の鐘
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