2021.11.28ブログ
2021年12月
法 悦 12月号 855号
貧を貧と思わざれば
これ富なり。
富を富と思わざれば
これ貧なり。
貧富は、あながち財貨の少多に関することにあらざるなり。
充足を知ると、知らざるとによることなり。
清沢満之
青色青光
仏教では「少欲知足」欲少なく足るを知る、ということが勧められますが、
我々凡夫の身には、なかなか容易な事ではありません。
仏説無量寿経に「少長男女共に銭財を憂う。有無同然、憂思また等し…
田有れば田を憂い、宅有れば宅を憂う…田無ければまた憂えて田有らんと欲し、
宅無ければまた憂えて宅有らんと欲す」と説かれているとおり、経済的なことに
振り回され、心安らぐ時がありません。
上記の言葉は明治の先達、清沢満之の随想録『有限無限録』の「貧富は精神にあり」
からのものですが、自らの心を拠り所としている限り、小欲知足という境地は得がたく、
処世の道も閉ざされる。まさに絶対無限者、つまり「阿弥陀仏をたのむ一念」に立たない
限り、満足を得る道は無いと示されました。
この事をさらに「われ他力の救済を念ずるとき我が世に処するの道開け、われ他力の
救済を忘るるとき、我が世に処するの道閉ず」と表白されました。
住職日々随想
ー一隅を照らす。中村哲という生き方ー
一昨年の十二月四日、アフガニスタンの東部ジャララバードで、凶弾に倒れた
中村哲医師とは、どの様な人だったのでしょう。
博多の玉井金五郎という、炭鉱荷役の荒くれ者達の頭領の妻であった祖母の
「理屈じゃなか。弱かもんば助けんしゃい。」という教えと、受け継いだ川筋気質、
そしてキリスト教信仰などがない交ぜになって、その活動を支えてきたのではないか
と言われています。
当初パキスタンのペシャワールの病院を拠点に、ハンセン病患者治療の活動をして
おられましたが、隣国アフガニスタンからも、医療を求めて多くの人々がやって来る
現実に触れ、アフガニスタンに診療所を開きました。
そんな中、2000年この地帯一帯に大旱魃が起こり、多くの人々が飢餓状態に陥りました。
そんな現実を前に、医療よりまず水が必要だ、と井戸を掘り始めましたが、水脈そのものが
枯れてしまっていると分かり、用水路を造る灌漑事業を始められました。
土木技師でもない中村医師ですが、懸命に技術を学び、故郷の河川で目にした、蛇籠に石を
詰めて用いる、古いけれども、専門家や道具の少ない所でも、長く使える手法を用い、
用水路の建設に、命がけで取り組まれました。
こうして不毛のガンベリ砂漠を緑の大地に変え、65万人もの人々を飢えから救い、貧しさ故
に行っていたケシ栽培や、兵士となる以外の、まっとうな職をもたらしました。
「平和には戦争以上の力が有る。しかし平和には、戦争以上の忍耐と努力が必要である」
と、常々口にしておられたそうです。
30年以上にわたって戦争をしている、アフガン人の誰に「何が一番欲しい?」と尋ねても、
アマン(平和)が欲しいと答えるそうです。
日本人に同じ質問をしても、そんな答えは返ってこず、お金が欲しいとか、いい仕事が欲しい、
などしか返ってこないでしょう。
ビザ無し渡航の許される、名ばかりのものでない実を伴った名誉国民の称号を、ガニ大統領
から与えられ、葬儀には大統領自らが棺を担ぐなど、まさに英雄として遇されました。
そういった中村医師の活動は「一隅を照らす」という、それぞれがそれぞれの現場で自ら
光りとなる、その信念に支えられていたと言えるでしょう。
坊守便り ーお見送りー
責任役員総代藤野照男様のご夫人
弘子さんがお浄土へ還られ、会員有志でお見送りさせて頂きました。
お釈迦様のご誕生からご入滅までのお悟りの聖地、インドの仏跡にも亡き前坊守とご一緒
下さり、親交を深められました。
また女性部では「女性のつどい」を5年間続けてさせて頂きましたが、故人様も総代夫人
として出席され、ご挨拶して下さいました。
物語を吟じて頂いた琵琶演奏、オカリナ演奏、アフガニスタンで井戸を掘った先生のお話、
大人の紙芝居語りなどさせて頂きました。
弘子さんもこの会への参加を、いつも楽しみにして下さり、「このような会が安泉寺で
出来ることは素晴らしいし、お寺の門徒として嬉しい事です。」と皆様に向け、お話下さいました。
この集いもコロナ禍で2回お休みしましたが、ぜひまた再開したい催しです。
一カ月前にお見舞いに伺いましたが、「坊守さん、女性部に新人を集めなさいよ」と、
共にお寺を護持するお気持ちで、いつもお話下さった事が心に残ります。 南無阿弥陀仏
十二月の行事
2 日(木)午前10時半~ピラティス
4 日(土)午後2時~ 祥月講・同朋の会
ご法話 住職
16日(木)午前10時半~ピラティス
午後2時~仏教民謡踊りの会
19日(日)午後2時~おみがき清掃ご奉仕31日(金)夜11時~歳暮勤行・除夜の鐘
一月の行事
6 日(木)午前10時半~ピラティス
20日(木)午前10時半~ピラティス
午後2時~仏教民謡踊りの会
23日(日)正午~ 同朋の会新年互礼会(詳細は後日ご案内申し上げます)
*感染予防には十分配慮し、各行事を行ってまいりますが、万一、感染が再拡大した場合、
変更もしくは中止することがございます。
貧を貧と思わざれば
これ富なり。
富を富と思わざれば
これ貧なり。
貧富は、あながち財貨の少多に関することにあらざるなり。
充足を知ると、知らざるとによることなり。
清沢満之
青色青光
仏教では「少欲知足」欲少なく足るを知る、ということが勧められますが、
我々凡夫の身には、なかなか容易な事ではありません。
仏説無量寿経に「少長男女共に銭財を憂う。有無同然、憂思また等し…
田有れば田を憂い、宅有れば宅を憂う…田無ければまた憂えて田有らんと欲し、
宅無ければまた憂えて宅有らんと欲す」と説かれているとおり、経済的なことに
振り回され、心安らぐ時がありません。
上記の言葉は明治の先達、清沢満之の随想録『有限無限録』の「貧富は精神にあり」
からのものですが、自らの心を拠り所としている限り、小欲知足という境地は得がたく、
処世の道も閉ざされる。まさに絶対無限者、つまり「阿弥陀仏をたのむ一念」に立たない
限り、満足を得る道は無いと示されました。
この事をさらに「われ他力の救済を念ずるとき我が世に処するの道開け、われ他力の
救済を忘るるとき、我が世に処するの道閉ず」と表白されました。
住職日々随想
ー一隅を照らす。中村哲という生き方ー
一昨年の十二月四日、アフガニスタンの東部ジャララバードで、凶弾に倒れた
中村哲医師とは、どの様な人だったのでしょう。
博多の玉井金五郎という、炭鉱荷役の荒くれ者達の頭領の妻であった祖母の
「理屈じゃなか。弱かもんば助けんしゃい。」という教えと、受け継いだ川筋気質、
そしてキリスト教信仰などがない交ぜになって、その活動を支えてきたのではないか
と言われています。
当初パキスタンのペシャワールの病院を拠点に、ハンセン病患者治療の活動をして
おられましたが、隣国アフガニスタンからも、医療を求めて多くの人々がやって来る
現実に触れ、アフガニスタンに診療所を開きました。
そんな中、2000年この地帯一帯に大旱魃が起こり、多くの人々が飢餓状態に陥りました。
そんな現実を前に、医療よりまず水が必要だ、と井戸を掘り始めましたが、水脈そのものが
枯れてしまっていると分かり、用水路を造る灌漑事業を始められました。
土木技師でもない中村医師ですが、懸命に技術を学び、故郷の河川で目にした、蛇籠に石を
詰めて用いる、古いけれども、専門家や道具の少ない所でも、長く使える手法を用い、
用水路の建設に、命がけで取り組まれました。
こうして不毛のガンベリ砂漠を緑の大地に変え、65万人もの人々を飢えから救い、貧しさ故
に行っていたケシ栽培や、兵士となる以外の、まっとうな職をもたらしました。
「平和には戦争以上の力が有る。しかし平和には、戦争以上の忍耐と努力が必要である」
と、常々口にしておられたそうです。
30年以上にわたって戦争をしている、アフガン人の誰に「何が一番欲しい?」と尋ねても、
アマン(平和)が欲しいと答えるそうです。
日本人に同じ質問をしても、そんな答えは返ってこず、お金が欲しいとか、いい仕事が欲しい、
などしか返ってこないでしょう。
ビザ無し渡航の許される、名ばかりのものでない実を伴った名誉国民の称号を、ガニ大統領
から与えられ、葬儀には大統領自らが棺を担ぐなど、まさに英雄として遇されました。
そういった中村医師の活動は「一隅を照らす」という、それぞれがそれぞれの現場で自ら
光りとなる、その信念に支えられていたと言えるでしょう。
坊守便り ーお見送りー
責任役員総代藤野照男様のご夫人
弘子さんがお浄土へ還られ、会員有志でお見送りさせて頂きました。
お釈迦様のご誕生からご入滅までのお悟りの聖地、インドの仏跡にも亡き前坊守とご一緒
下さり、親交を深められました。
また女性部では「女性のつどい」を5年間続けてさせて頂きましたが、故人様も総代夫人
として出席され、ご挨拶して下さいました。
物語を吟じて頂いた琵琶演奏、オカリナ演奏、アフガニスタンで井戸を掘った先生のお話、
大人の紙芝居語りなどさせて頂きました。
弘子さんもこの会への参加を、いつも楽しみにして下さり、「このような会が安泉寺で
出来ることは素晴らしいし、お寺の門徒として嬉しい事です。」と皆様に向け、お話下さいました。
この集いもコロナ禍で2回お休みしましたが、ぜひまた再開したい催しです。
一カ月前にお見舞いに伺いましたが、「坊守さん、女性部に新人を集めなさいよ」と、
共にお寺を護持するお気持ちで、いつもお話下さった事が心に残ります。 南無阿弥陀仏
十二月の行事
2 日(木)午前10時半~ピラティス
4 日(土)午後2時~ 祥月講・同朋の会
ご法話 住職
16日(木)午前10時半~ピラティス
午後2時~仏教民謡踊りの会
19日(日)午後2時~おみがき清掃ご奉仕31日(金)夜11時~歳暮勤行・除夜の鐘
一月の行事
6 日(木)午前10時半~ピラティス
20日(木)午前10時半~ピラティス
午後2時~仏教民謡踊りの会
23日(日)正午~ 同朋の会新年互礼会(詳細は後日ご案内申し上げます)
*感染予防には十分配慮し、各行事を行ってまいりますが、万一、感染が再拡大した場合、
変更もしくは中止することがございます。
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