2022.10.02ブログ
法悦 2022年10月
法 悦 10月号 865号
さればアーナンダよ
比丘たる者は
自らを燈明とし
自らを拠り所として
他人を拠り所とせず
法を燈明とし
法を拠り所として
他を拠り所とせずして
住するのである
「遊行経」
青色青光
いわゆるカルトと呼ばれるものの一番深刻な問題は何かと言えば、それは
人間を洗脳し、自らの頭で考える力を奪い、教祖やカリスマの意に沿ってしか
行動できなくなる、そんなひとに変えられてしまう、まさに人間としての
個の尊厳と、主体性を奪われてしまうことにこそあります。
人は誰しも心の弱さを抱えもつもの、恐怖心などの激しい感情をあおり、
それから逃れる手立てはこれしかない、などと言い惑わせるものとは
親しまないことが大事です。
しかしより深く見てみますと、これはなにもカルトにとらわれている人
だけのことではありません。
程度の差こそあれ、私たちも日頃から周りの空気という、なにか得体の
知れないものを気にして、納得のいかない事柄であっても、あらがうことなく
同調し流されていく、自らそれが体質にまでなっていはしないでしょうか?
対して仏教は自覚道とも呼ばれ、人間の真実の目覚めと自立を究極の目的
とする教え、自ら思考し行動できる人の誕生を願う教えなのです。
又「依頼心は瞋恚(しんに…怒り腹立ち)の源なり。」と言われます。
同朋とは主体性を持ち自立した者同士のつながり、依頼心に支配されて
いては、内なる瞋恚ゆえ、本当の信頼やつながりは生まれないと知られます。
まさに自燈明、法燈明が仏教の基本なのです。
住職日々随想
安倍元首相の「国葬」が挙行されました。そのショッキングな亡くなり方
によってか、定義も法的根拠も明らかでなく、カルトではと強く疑われている
旧統一教会(世界統一家庭連合)と与党との、抜き差しならぬ関係性も十分
解明されず、加えて故人の歴史的評価もいまだ定まらぬうちに、賛否世論が
二分されるなか、国会審議を経ず閣議決定のみによって、数十億もの多額の
国費をかけ行われました。
ひと一人が亡くなられることは、どなたであっても悲しみ悼むべきこと
ですが、他方、よりすすむ社会の格差を反映し、少子高齢化やコロナ禍の影響
もあってかかつてなら密葬と言われていたような「家族葬」や、一部近親者
だけのご葬儀などが急増しています。
もちろん盛大に行うか、内々でひっそりと行うか、それぞれ事情もあること
でしょう。が、儀式法要が軽んじられていくことには、強い危惧を禁じ
得ません。
それらのことを踏まえ、私たちにとって「葬儀」とはいかなる意味を
持つのか? 今、改めて問われています。
以前、東日本大震災で多くの犠牲者を出した大船渡市で、市民文化会館を
お借りして、大谷派大阪教区の僧侶有志で震災三回忌法要を行いました。
多くのご遺族の方々がご参加くださいましたが、わけても印象深かったのは、
ご主人を亡くされたご婦人の「震災で夫を亡くしてから、傾聴ボランティア
の方やカウンセラーの方がたびたび訪ねて下さいました。それでもどうにも
この現実が受け止めきれず、鬱々とした日々を送っていました。でも今日
この法要にお参りしお勤めに遇わせて頂いて、やっとこれで主人の死を
受け入れられる、そんな気が致します。」と晴れやかに仰られたお言葉でした。
そうなんだ、長い歴史の中で培われてきた祈りの形には、人の心を癒やす
力が宿っているんだ、と改めて確信させられました。
それは間違いのない事実なのです。
しかし、そうだからと言って、型どおりのことを行っていれば、それで良し
というものでもありません。
時代社会の要請に耳を傾け、そこから浮き上がることも埋没することもなく、
伝えられてきたものに対する敬意を持ち、その上でそこに受け止めた者の
創造的参加を加え、誠心誠意勤めるとき、初めて本当の儀式、伝統となる
のです。
また、葬送儀礼を行う私たち僧侶にとって、今ひとつ常に忘れてならない
のは誰もが逃れられない老病死、わけても死というものの埋葬人になっては
ならない。
むしろ、死を生かすお手伝いをこそ使命と心得るべきだということなのです。
坊守便り ー法義相続・おみおくりー
この夏、新型コロナウィルス感染が
予測も出来ない程の拡がりをみせ、多く
の方がお亡くなりになりました。残念ながら当寺同朋の会会員の前田伊三郎
さんもそのお一人です。
安泉寺では様々なご寺院を皆さんとめぐりましたが、いつも欠かさずご参加
下さっていました。本堂に掲示した写真を眺めながら、ここにもご一緒して
下さっていたなと偲ばれる事でございます。
喪主は長男さんが勤められましたが、コロナ禍で同朋の会の皆さんと
おみおくりする事は叶いませんでした。
息子さんが二十歳になって二人でお酒を飲みに行かれた事、当寺の法悦は
ご自分が読まれた後は鉛筆で線をひいて毎月息子さんに郵送されていた事を
お聞きしました。
仏教は中道を説きますが、偏らぬ心で穏やかに息子さんの成長を喜ばれ、
そのお父さんのお姿をまた、息子さんも偲ばれています。喪主を勤められた
お姿にお父様の願い、ご法義が相続されている事をしみじみと感じ、
おみおくりいたしました。
十月の行事
13日(木)午前10時半~ピラティス
15日(土)午後2時~祥月講・同朋の会聞法会
ご法話 圓龍寺 門井斉師
23日(日)午後1時~ おみがき清掃ご奉仕
27日(木)午前10時半~ピラティス
十一月の行事
6 日(日)午後1時~
宗祖親鸞聖人ご誕生八五〇年・立教開宗八〇〇年予修、
本堂大屋根境内諸施設修復奉告法要
(お稚児さんとしてご参加下さるお子様を募集しております。
是非お声がけ下さいませ。)
10日(木)午前10時半~ピラティス
12日(土)午後2時~ 報恩講
午後5時頃~御伝鈔拝読
ご講師 戸次公正師
24日(木)午前10時半ピラティス
*感染予防には十分配慮し、各行事を行いますが、感染がさらに
拡大した場合、変更もしくは中止する場合がございます。
さればアーナンダよ
比丘たる者は
自らを燈明とし
自らを拠り所として
他人を拠り所とせず
法を燈明とし
法を拠り所として
他を拠り所とせずして
住するのである
「遊行経」
青色青光
いわゆるカルトと呼ばれるものの一番深刻な問題は何かと言えば、それは
人間を洗脳し、自らの頭で考える力を奪い、教祖やカリスマの意に沿ってしか
行動できなくなる、そんなひとに変えられてしまう、まさに人間としての
個の尊厳と、主体性を奪われてしまうことにこそあります。
人は誰しも心の弱さを抱えもつもの、恐怖心などの激しい感情をあおり、
それから逃れる手立てはこれしかない、などと言い惑わせるものとは
親しまないことが大事です。
しかしより深く見てみますと、これはなにもカルトにとらわれている人
だけのことではありません。
程度の差こそあれ、私たちも日頃から周りの空気という、なにか得体の
知れないものを気にして、納得のいかない事柄であっても、あらがうことなく
同調し流されていく、自らそれが体質にまでなっていはしないでしょうか?
対して仏教は自覚道とも呼ばれ、人間の真実の目覚めと自立を究極の目的
とする教え、自ら思考し行動できる人の誕生を願う教えなのです。
又「依頼心は瞋恚(しんに…怒り腹立ち)の源なり。」と言われます。
同朋とは主体性を持ち自立した者同士のつながり、依頼心に支配されて
いては、内なる瞋恚ゆえ、本当の信頼やつながりは生まれないと知られます。
まさに自燈明、法燈明が仏教の基本なのです。
住職日々随想
安倍元首相の「国葬」が挙行されました。そのショッキングな亡くなり方
によってか、定義も法的根拠も明らかでなく、カルトではと強く疑われている
旧統一教会(世界統一家庭連合)と与党との、抜き差しならぬ関係性も十分
解明されず、加えて故人の歴史的評価もいまだ定まらぬうちに、賛否世論が
二分されるなか、国会審議を経ず閣議決定のみによって、数十億もの多額の
国費をかけ行われました。
ひと一人が亡くなられることは、どなたであっても悲しみ悼むべきこと
ですが、他方、よりすすむ社会の格差を反映し、少子高齢化やコロナ禍の影響
もあってかかつてなら密葬と言われていたような「家族葬」や、一部近親者
だけのご葬儀などが急増しています。
もちろん盛大に行うか、内々でひっそりと行うか、それぞれ事情もあること
でしょう。が、儀式法要が軽んじられていくことには、強い危惧を禁じ
得ません。
それらのことを踏まえ、私たちにとって「葬儀」とはいかなる意味を
持つのか? 今、改めて問われています。
以前、東日本大震災で多くの犠牲者を出した大船渡市で、市民文化会館を
お借りして、大谷派大阪教区の僧侶有志で震災三回忌法要を行いました。
多くのご遺族の方々がご参加くださいましたが、わけても印象深かったのは、
ご主人を亡くされたご婦人の「震災で夫を亡くしてから、傾聴ボランティア
の方やカウンセラーの方がたびたび訪ねて下さいました。それでもどうにも
この現実が受け止めきれず、鬱々とした日々を送っていました。でも今日
この法要にお参りしお勤めに遇わせて頂いて、やっとこれで主人の死を
受け入れられる、そんな気が致します。」と晴れやかに仰られたお言葉でした。
そうなんだ、長い歴史の中で培われてきた祈りの形には、人の心を癒やす
力が宿っているんだ、と改めて確信させられました。
それは間違いのない事実なのです。
しかし、そうだからと言って、型どおりのことを行っていれば、それで良し
というものでもありません。
時代社会の要請に耳を傾け、そこから浮き上がることも埋没することもなく、
伝えられてきたものに対する敬意を持ち、その上でそこに受け止めた者の
創造的参加を加え、誠心誠意勤めるとき、初めて本当の儀式、伝統となる
のです。
また、葬送儀礼を行う私たち僧侶にとって、今ひとつ常に忘れてならない
のは誰もが逃れられない老病死、わけても死というものの埋葬人になっては
ならない。
むしろ、死を生かすお手伝いをこそ使命と心得るべきだということなのです。
坊守便り ー法義相続・おみおくりー
この夏、新型コロナウィルス感染が
予測も出来ない程の拡がりをみせ、多く
の方がお亡くなりになりました。残念ながら当寺同朋の会会員の前田伊三郎
さんもそのお一人です。
安泉寺では様々なご寺院を皆さんとめぐりましたが、いつも欠かさずご参加
下さっていました。本堂に掲示した写真を眺めながら、ここにもご一緒して
下さっていたなと偲ばれる事でございます。
喪主は長男さんが勤められましたが、コロナ禍で同朋の会の皆さんと
おみおくりする事は叶いませんでした。
息子さんが二十歳になって二人でお酒を飲みに行かれた事、当寺の法悦は
ご自分が読まれた後は鉛筆で線をひいて毎月息子さんに郵送されていた事を
お聞きしました。
仏教は中道を説きますが、偏らぬ心で穏やかに息子さんの成長を喜ばれ、
そのお父さんのお姿をまた、息子さんも偲ばれています。喪主を勤められた
お姿にお父様の願い、ご法義が相続されている事をしみじみと感じ、
おみおくりいたしました。
十月の行事
13日(木)午前10時半~ピラティス
15日(土)午後2時~祥月講・同朋の会聞法会
ご法話 圓龍寺 門井斉師
23日(日)午後1時~ おみがき清掃ご奉仕
27日(木)午前10時半~ピラティス
十一月の行事
6 日(日)午後1時~
宗祖親鸞聖人ご誕生八五〇年・立教開宗八〇〇年予修、
本堂大屋根境内諸施設修復奉告法要
(お稚児さんとしてご参加下さるお子様を募集しております。
是非お声がけ下さいませ。)
10日(木)午前10時半~ピラティス
12日(土)午後2時~ 報恩講
午後5時頃~御伝鈔拝読
ご講師 戸次公正師
24日(木)午前10時半ピラティス
*感染予防には十分配慮し、各行事を行いますが、感染がさらに
拡大した場合、変更もしくは中止する場合がございます。
New Article
Archive
- 2024年11月
- 2024年9月
- 2024年7月
- 2024年6月
- 2024年5月
- 2024年4月
- 2024年3月
- 2024年2月
- 2024年1月
- 2023年11月
- 2023年10月
- 2023年8月
- 2023年7月
- 2023年6月
- 2023年5月
- 2023年4月
- 2023年3月
- 2023年2月
- 2023年1月
- 2022年12月
- 2022年11月
- 2022年10月
- 2022年8月
- 2022年7月
- 2022年5月
- 2022年4月
- 2022年2月
- 2022年1月
- 2021年12月
- 2021年11月
- 2021年10月
- 2021年8月
- 2021年6月
- 2021年4月
- 2021年3月
- 2021年2月
- 2020年12月
- 2020年10月
- 2020年9月
- 2020年8月
- 2020年7月
- 2020年4月
- 2020年3月
- 2020年2月
- 2019年12月
- 2019年11月
- 2019年10月
- 2019年9月
- 2019年8月
- 2019年7月
- 2019年6月
- 2019年5月
- 2019年3月
- 2019年1月
- 2018年12月
- 2018年11月
- 2018年10月
- 2018年9月
- 2018年8月
- 2018年7月
- 2018年6月
- 2018年5月