2023.01.31ブログ
法悦 2023年2月
法 悦 2月号 869号
骨のうたう 竹内浩三
戦死やあわれ
兵隊の死ぬるやあわれ
とおい他国で ひょんと死ぬるや
だまって だれもいないところで
ひょんと死ぬるや
ふるさとの風や
こいびとの眼や
ひょんと消ゆるや
国のため
大君のため
死んでしまうや
その心や (以下略)
青色青光
上記の詩は宇治山田出身の詩人、竹内浩三の作です。
1945年4月フィリピン・ルソン島バギオにて、二十三歳で戦死(消息不明)
同郷の小津安二郎に憧れて、映画監督をめざしていた青年が、無残な最後を
遂げた事実に胸が痛みます。
今も日々報じられるウクライナの戦況、徴兵され前線に送られるロシアの
青年達、そして彼らに対峙せざるを得ないウクライナの青年達。違った出会い方
をすれば友ともなり得た彼らに、殺し合いを命じる老人達。戦争にかり出され
犠牲になるのは、いつも決まって若者や一般の庶民なのです。
沖縄で40年以上にわたって戦没者の遺骨収集をしている具志堅隆松氏が
「人は必ず寿命が来たら死にます。それは避けられないことです。しかし、
死ぬことと、殺されることは、別のものです。全く別のものです。」と、
人が決して犯してはならない罪だと述べておられます。
新たな犠牲者を英雄と賞賛することで、殺し殺されることを国民に受け入れ
させようという動きには、これまでもこれからも、決して与してはならない
のです。
お釈迦様の「殺してはならぬ、殺さしめてはならぬ」のお言葉を憶念し
続けたいことです。
住職日々随想
日々膨大な量の情報があふれる現代社会、移り気なマスコミあるいは国民性に
依るものなのか、安倍元総理の銃撃事件に端を発した政治とカルトの問題が、
ややもするとすでに終わった事とされてしまってはいないでしょうか?
哲学者のエーリッヒ・フロムは、ナチズムに傾倒していった戦前のドイツを
考察し「自由からの逃走」を著しましたが、同調圧力などと言われるような、
周りの視線を過度に気にし、無意識的に自身の欲求を抑えつけていることを、
「自由には義務と責任が伴わなければならない」と短絡的に受け止め、権威的な
ものに盲目的にしたがってしまう、その病理を解き明かしました。
そう言った意味で、ナチズムなどの権威主義的な政治とカルトとは、非常に
親和性が高い事に気付かされます。
だからこそ政治が宗教を利用し、カルトが政治に手を突っ込んでくる、
そういう構図も成り立っていたのです。
2019年に蓮如賞を受賞した批評家・随筆家の若松英輔氏が、宗教が
カルト化しないために絶対に超えては成らない壁が三つある。一つには「恐怖」
、恐怖によって人を縛り付ける。二つには「搾取」、その人の人生が破綻する
まで何かを搾取しようとする。三つ目には「拘束」、真の意味で宗教である
ならば、出入りは自由でなくてはならないが、これら三つが当てはまるよう
なら、それはカルトと言って良いと述べておられます。
蓮如上人の御一代記聞書に「仏説に、信謗あるべきよし、ときおきたまえり。
信ずる者ばかりにて、謗ずる人なくは、ときおきたまうこと、いかがと思うべ
きに、はや、謗ずるものあるうえは、信ぜんにおいては、必ず往生決定」と
説かれていますが、信ずる者も疑う者もあってこそ、宗教としての健康さが
保たれると言えましょう。
まさに宗教は諸刃の剣、人生に豊かさを与えてくれるものですが、宗教が
その健康さを失ったときには、逆に人生を破壊してしまう、そういう力も
あるのです。
前述の若松氏は「深く疑うことが出来るのは、とても大事なことです。
人には疑うことの中でしか発見できない問いがあるし、疑いの中でこそ人と
つながることがあるからです。」と述べておられます。
現在、公教育の場で宗教を教えることは禁じられていますが、人生に心の
拠り所を求めずにはおれない人間にとって、宗教とは一体いかなるものか、
それすら知らずにいれば、たやすくカルトの罠に落ちてしまいかねず、
大切な「問いとの出遇い」の機会も失ってしまいかねないのです。
坊守便り
法義相続ーお見送り
新しい年が明けました。本年もどうぞよろしくお願い致します。
コロナ禍により同朋会も新年会を行えませんでしたので、紙面をお借りして
ご挨拶申し上げます。
寒い冬はお亡くなりになる方も増え、年末から長年のお付き合いのある
ご門徒の方もお見送りしました。
当寺の前にお住まいの、東洋工業の奥さんもお亡くなりになりました。
コロナ禍もあり野辺送りまで数日待ちとなり、それまでの仮通夜を安泉寺
で行いたいとご連絡がありました。
息子さんと二人の娘さんが毎日付き添われる中、それぞれのお相方、
子供さんやお孫さんも、朝夕訪ねて来られました。お母さんのお身体の
お清めやお化粧を見守られ、おしゃれさんに合わせ、もう一度ヘアカラーも
頼まれました。
傍らで、ひ孫さんがお絵描きをしたり、食事も取られ、子供同士が喧嘩して、
涙も流すなど、家庭の居間のそのままのやり取りが、休まれているお母さんの
お耳にも心地よく聞こえていたかも知れません。
あの時、おばあちゃんを見送ったなぁと、ひ孫さんが後々お話しされるの
かなと思います。
葬儀前にご家族の送る言葉が読み上げられました。「お母さんには、
厳しい事を言われてました。でも、皆んなの事思って言ってくれてたん
ですね。」「おばあちゃんには一番怒られました。でも、大好きでした。」
確かに法義相続がされている、温かいお見送りでした。
二月の行寺
9 日(木)午前10時半~ピラティス
16日(木)午前10時半~ピラティス
18日(土)午後 5時~ 安泉寺地域懇親会
安泉寺慶讃法要DVD上映会
25日(土)午後 3時~第五組慶讃法要テーマ聞法会
ご講師 髙島洸陽師
三月の行事
9 日(木)午前10時半~ピラティス
12日(日)午後1時~ おみがき清掃ご奉仕
18日(土)午後2時~ 春季彼岸永代経法要
ご講師 伊勢道浄寺 酒井正夫師
23日(木)午前10時半~ピラティス
25日(土)終日 ご本山慶讃法要団体参拝
*感染予防には十分配慮し、各行事を行いますが、感染がさらに拡大
した場合、変更もしくは中止する場合がございます。
骨のうたう 竹内浩三
戦死やあわれ
兵隊の死ぬるやあわれ
とおい他国で ひょんと死ぬるや
だまって だれもいないところで
ひょんと死ぬるや
ふるさとの風や
こいびとの眼や
ひょんと消ゆるや
国のため
大君のため
死んでしまうや
その心や (以下略)
青色青光
上記の詩は宇治山田出身の詩人、竹内浩三の作です。
1945年4月フィリピン・ルソン島バギオにて、二十三歳で戦死(消息不明)
同郷の小津安二郎に憧れて、映画監督をめざしていた青年が、無残な最後を
遂げた事実に胸が痛みます。
今も日々報じられるウクライナの戦況、徴兵され前線に送られるロシアの
青年達、そして彼らに対峙せざるを得ないウクライナの青年達。違った出会い方
をすれば友ともなり得た彼らに、殺し合いを命じる老人達。戦争にかり出され
犠牲になるのは、いつも決まって若者や一般の庶民なのです。
沖縄で40年以上にわたって戦没者の遺骨収集をしている具志堅隆松氏が
「人は必ず寿命が来たら死にます。それは避けられないことです。しかし、
死ぬことと、殺されることは、別のものです。全く別のものです。」と、
人が決して犯してはならない罪だと述べておられます。
新たな犠牲者を英雄と賞賛することで、殺し殺されることを国民に受け入れ
させようという動きには、これまでもこれからも、決して与してはならない
のです。
お釈迦様の「殺してはならぬ、殺さしめてはならぬ」のお言葉を憶念し
続けたいことです。
住職日々随想
日々膨大な量の情報があふれる現代社会、移り気なマスコミあるいは国民性に
依るものなのか、安倍元総理の銃撃事件に端を発した政治とカルトの問題が、
ややもするとすでに終わった事とされてしまってはいないでしょうか?
哲学者のエーリッヒ・フロムは、ナチズムに傾倒していった戦前のドイツを
考察し「自由からの逃走」を著しましたが、同調圧力などと言われるような、
周りの視線を過度に気にし、無意識的に自身の欲求を抑えつけていることを、
「自由には義務と責任が伴わなければならない」と短絡的に受け止め、権威的な
ものに盲目的にしたがってしまう、その病理を解き明かしました。
そう言った意味で、ナチズムなどの権威主義的な政治とカルトとは、非常に
親和性が高い事に気付かされます。
だからこそ政治が宗教を利用し、カルトが政治に手を突っ込んでくる、
そういう構図も成り立っていたのです。
2019年に蓮如賞を受賞した批評家・随筆家の若松英輔氏が、宗教が
カルト化しないために絶対に超えては成らない壁が三つある。一つには「恐怖」
、恐怖によって人を縛り付ける。二つには「搾取」、その人の人生が破綻する
まで何かを搾取しようとする。三つ目には「拘束」、真の意味で宗教である
ならば、出入りは自由でなくてはならないが、これら三つが当てはまるよう
なら、それはカルトと言って良いと述べておられます。
蓮如上人の御一代記聞書に「仏説に、信謗あるべきよし、ときおきたまえり。
信ずる者ばかりにて、謗ずる人なくは、ときおきたまうこと、いかがと思うべ
きに、はや、謗ずるものあるうえは、信ぜんにおいては、必ず往生決定」と
説かれていますが、信ずる者も疑う者もあってこそ、宗教としての健康さが
保たれると言えましょう。
まさに宗教は諸刃の剣、人生に豊かさを与えてくれるものですが、宗教が
その健康さを失ったときには、逆に人生を破壊してしまう、そういう力も
あるのです。
前述の若松氏は「深く疑うことが出来るのは、とても大事なことです。
人には疑うことの中でしか発見できない問いがあるし、疑いの中でこそ人と
つながることがあるからです。」と述べておられます。
現在、公教育の場で宗教を教えることは禁じられていますが、人生に心の
拠り所を求めずにはおれない人間にとって、宗教とは一体いかなるものか、
それすら知らずにいれば、たやすくカルトの罠に落ちてしまいかねず、
大切な「問いとの出遇い」の機会も失ってしまいかねないのです。
坊守便り
法義相続ーお見送り
新しい年が明けました。本年もどうぞよろしくお願い致します。
コロナ禍により同朋会も新年会を行えませんでしたので、紙面をお借りして
ご挨拶申し上げます。
寒い冬はお亡くなりになる方も増え、年末から長年のお付き合いのある
ご門徒の方もお見送りしました。
当寺の前にお住まいの、東洋工業の奥さんもお亡くなりになりました。
コロナ禍もあり野辺送りまで数日待ちとなり、それまでの仮通夜を安泉寺
で行いたいとご連絡がありました。
息子さんと二人の娘さんが毎日付き添われる中、それぞれのお相方、
子供さんやお孫さんも、朝夕訪ねて来られました。お母さんのお身体の
お清めやお化粧を見守られ、おしゃれさんに合わせ、もう一度ヘアカラーも
頼まれました。
傍らで、ひ孫さんがお絵描きをしたり、食事も取られ、子供同士が喧嘩して、
涙も流すなど、家庭の居間のそのままのやり取りが、休まれているお母さんの
お耳にも心地よく聞こえていたかも知れません。
あの時、おばあちゃんを見送ったなぁと、ひ孫さんが後々お話しされるの
かなと思います。
葬儀前にご家族の送る言葉が読み上げられました。「お母さんには、
厳しい事を言われてました。でも、皆んなの事思って言ってくれてたん
ですね。」「おばあちゃんには一番怒られました。でも、大好きでした。」
確かに法義相続がされている、温かいお見送りでした。
二月の行寺
9 日(木)午前10時半~ピラティス
16日(木)午前10時半~ピラティス
18日(土)午後 5時~ 安泉寺地域懇親会
安泉寺慶讃法要DVD上映会
25日(土)午後 3時~第五組慶讃法要テーマ聞法会
ご講師 髙島洸陽師
三月の行事
9 日(木)午前10時半~ピラティス
12日(日)午後1時~ おみがき清掃ご奉仕
18日(土)午後2時~ 春季彼岸永代経法要
ご講師 伊勢道浄寺 酒井正夫師
23日(木)午前10時半~ピラティス
25日(土)終日 ご本山慶讃法要団体参拝
*感染予防には十分配慮し、各行事を行いますが、感染がさらに拡大
した場合、変更もしくは中止する場合がございます。
New Article
Archive
- 2024年11月
- 2024年9月
- 2024年7月
- 2024年6月
- 2024年5月
- 2024年4月
- 2024年3月
- 2024年2月
- 2024年1月
- 2023年11月
- 2023年10月
- 2023年8月
- 2023年7月
- 2023年6月
- 2023年5月
- 2023年4月
- 2023年3月
- 2023年2月
- 2023年1月
- 2022年12月
- 2022年11月
- 2022年10月
- 2022年8月
- 2022年7月
- 2022年5月
- 2022年4月
- 2022年2月
- 2022年1月
- 2021年12月
- 2021年11月
- 2021年10月
- 2021年8月
- 2021年6月
- 2021年4月
- 2021年3月
- 2021年2月
- 2020年12月
- 2020年10月
- 2020年9月
- 2020年8月
- 2020年7月
- 2020年4月
- 2020年3月
- 2020年2月
- 2019年12月
- 2019年11月
- 2019年10月
- 2019年9月
- 2019年8月
- 2019年7月
- 2019年6月
- 2019年5月
- 2019年3月
- 2019年1月
- 2018年12月
- 2018年11月
- 2018年10月
- 2018年9月
- 2018年8月
- 2018年7月
- 2018年6月
- 2018年5月