2023.10.01ブログ
法悦10月
法 悦 10月号 877号
我が歳(とし)きわまりて
安養(あんによう)浄土に還帰(げんき)すというとも
和歌の浦曲(うらわ)の片(かた)男(お)浪(なみ)の
寄せかけ寄せかけ
帰らんに同じ
一人居て喜ばは
二人と思うべし
二人居て喜ばは
三人(みたり)と思うべし、
その一人(いちにん)は親鸞なり
我(われ)なくも 法(のり)は尽きまじ 和歌の浦
あおくさ人(びと)の あらんかぎりは
弘長二歳 十一月 愚禿親鸞 満九十歳
青色青光
上記の文章は親鸞さまの最晩年のお言葉、
言わばご遺言と伝えられている「御臨末の御書」です。
親鸞聖人は法然さまと出遇われ、ただ念仏一つと決定(けつじょう)された
29歳の時から、90歳でご往生なさるまで、阿弥陀仏のご本願を説き広め続け
られました。
しかし、親鸞さまの生死を越えた仏恩報謝の深い念いは、臨終でも尽きること
なく、命終しても尚、お浄土から還り来たって、孤独に涙する人や、苦難に
あえぐ一人一人に寄り添い続けたい、お念仏生活の喜びを伝え続けずには
おかないと、ご遺言されたのです。
85歳を過ぎて著された正像末和讃に、「恩徳讃」として歌い継がれている
一首「如来大悲の恩徳は 身を粉にしても報ずべし師主知識の恩徳も
骨を砕きても謝すべし」がありますが、「身を粉にしても、骨を砕きても」
とは、とてもとても晩年の老人のものとは思えない、若々しい感性の爆発
ではないでしょうか。
それは念仏が自力回向の行ではなく、いかに努力しても生死の迷いから離れ
られないこの私のために、如来が願いを成就して、お与え下さる本願力回向
の行。
だからこそ、老病死を超えて働き続ける力がこの身に与えられるのです。
親鸞さまが偉大な方だからということではなく、誰もが皆、阿弥陀仏から
願われ、先だってお念仏の道を歩まれた方々から願われ続けているからに
他ならないのです。
住職日々随想
年に一、二回地元の小学校の児童の皆さんが
当寺に社会見学に来られます。地域の歴史やお寺の成り立ち、とりわけ小学校
の前身であった、当寺の寺子屋はどんな様子だったのかといった質問の他に、
お寺は何をするところなのか、仏教って何なのかといったお尋ねもあります。
オウム真理教の元信者であった青年の「お寺は風景でしかなかった」という
言葉に、ショックを受けた身としては、こうして子ども達が来て下さること、
そして、こういう質問を頂くことに、我が意を得たりと嬉しくなって、仏教
のみ教えの一端でもお伝えせねばと、張り切ってしまいます。
今回、数人の児童の方が、本堂の欄間の彫刻、とりわけ双頭の鳥「共命鳥
(ぐみょうちょう)」に強い関心を持たれ、質問をされました。
頭が二つで体が一つ、二つの頭が一つの体(命)を共有していることから
「共命鳥」と呼ばれるこの鳥は、『阿弥陀経』には、極楽浄土において白鳥、
孔雀、オウム、モズ、カリョウビンガなどの美しい鳥と共に日に六回、
美しい鳴き声で仏さまのみ教えを説き、聞く者をして自然に仏・法・僧の
三宝を敬う心を起こさせる、と説かれています。
しかし同時に、共命鳥には悲しい物語も説かれています。
二つの頭はそれぞれに自分の意思を持っていましたが、いつも互いを思い
やり自分だけの我を通さず、よく話し合って仲良く暮らしていました。
長い長い年月、そうして平和に暮らしていましたが、いつしか片方の頭が
そういう暮らしに倦み「こいつさえいなければ、もっと自由にどこにでも
飛んで行けるし、おいしい物も独り占めできるのに…」とよこしまな心を
起こし、ついにそれを押さえきれなくなりました。
そこで、もう一方の頭に「じつはすばらしくおいしい木の実を見つけ
たんだ。取りに行こうじゃないか」と、持ちかけました。が、本当は毒の
実を食べさせようと企んでいたのでした。計画はうまくいき、だまされた
もう一方の頭がまんまと毒の実を食べてしまいました。
これで邪魔者はいなくなったと喜んだのもつかの間、身体は一つしか無い
ので、哀れ共々に息絶えてしまいました。
きわめて近しい関係の者同士が、傷つけ合い殺し合う。それ故、共命鳥は
この娑婆世界では生きられず、お浄土でしか生きられないのだと説かれた
のです。
今一歩踏み込んで、よく考えたいのは、実は私たちの誰もがこの地球と
いう星より他に居場所のない、いのちを共にする存在、誰もが実は共命鳥
なのだという事実です。
その事実への目覚め促す事が仏さまのご本心であり、争いや差別のない
世界を願うほとけごころなのです。
ちなみに、共命鳥の鳴き声は「他を滅ぼす道は己を滅ぼす道、他を生かす
道こそ己の生かされる道」と説いていると言われます。
坊守たより
ー前住職が満100歳となりますー
昨年の年始に、「今年で数え100歳です。ご長寿ですね。」と、家族で
喜びの言葉を交わしました。
実のところは満年齢のお誕生日には、まだ2年かかります。高齢になり
ますと、長い2年かもしれないと思っていました。
この間には、帯状疱疹になったり、痛風の症状が強く出たりと、度々
救急のお世話にもなりました。
ですがその都度、強い回復力で元気な日常を取り戻しています。
先日、岸田総理大臣から額付きで、100歳を迎えたお祝いの賞状と
銀の杯を送っていただきました。さっそく庫裏の玄関に飾らせて頂きました。
嬉しいことです。
前住職の過ごした100年の間、安泉寺も時代の変遷と共に歩んで来ました。
川のせせらぎの聞こえるのどかな土地であった時代から、戦後、人口過密な
時代も過ごしました。
これからも歴史を大切につないでいきたい事です。
十月の行事
5 日(木) 午前10時半~ ピラティス
19日(木) 午前10時半~ ピラティス
21日(土) 午後2時~ 祥月講・同朋の会
ご講師 圓龍寺 門井 斉師
十一月の行事
5 日(日) 午後1時~ おみがき・清掃奉仕
12日(日) 報 恩 講 昼2 時 大 逮 夜
引き続き 御伝鈔拝読
ご講師 泉大津 南溟寺 戸次公正師
16日(木) 午前10時半~ ピラティス
30日(木) 午前10時半~ ピラティス
*感染予防には十分配慮し各行事を 行いますが、感染が拡大した
場合、変更もしくは中止する場合がござ います。ご承知おきください。
我が歳(とし)きわまりて
安養(あんによう)浄土に還帰(げんき)すというとも
和歌の浦曲(うらわ)の片(かた)男(お)浪(なみ)の
寄せかけ寄せかけ
帰らんに同じ
一人居て喜ばは
二人と思うべし
二人居て喜ばは
三人(みたり)と思うべし、
その一人(いちにん)は親鸞なり
我(われ)なくも 法(のり)は尽きまじ 和歌の浦
あおくさ人(びと)の あらんかぎりは
弘長二歳 十一月 愚禿親鸞 満九十歳
青色青光
上記の文章は親鸞さまの最晩年のお言葉、
言わばご遺言と伝えられている「御臨末の御書」です。
親鸞聖人は法然さまと出遇われ、ただ念仏一つと決定(けつじょう)された
29歳の時から、90歳でご往生なさるまで、阿弥陀仏のご本願を説き広め続け
られました。
しかし、親鸞さまの生死を越えた仏恩報謝の深い念いは、臨終でも尽きること
なく、命終しても尚、お浄土から還り来たって、孤独に涙する人や、苦難に
あえぐ一人一人に寄り添い続けたい、お念仏生活の喜びを伝え続けずには
おかないと、ご遺言されたのです。
85歳を過ぎて著された正像末和讃に、「恩徳讃」として歌い継がれている
一首「如来大悲の恩徳は 身を粉にしても報ずべし師主知識の恩徳も
骨を砕きても謝すべし」がありますが、「身を粉にしても、骨を砕きても」
とは、とてもとても晩年の老人のものとは思えない、若々しい感性の爆発
ではないでしょうか。
それは念仏が自力回向の行ではなく、いかに努力しても生死の迷いから離れ
られないこの私のために、如来が願いを成就して、お与え下さる本願力回向
の行。
だからこそ、老病死を超えて働き続ける力がこの身に与えられるのです。
親鸞さまが偉大な方だからということではなく、誰もが皆、阿弥陀仏から
願われ、先だってお念仏の道を歩まれた方々から願われ続けているからに
他ならないのです。
住職日々随想
年に一、二回地元の小学校の児童の皆さんが
当寺に社会見学に来られます。地域の歴史やお寺の成り立ち、とりわけ小学校
の前身であった、当寺の寺子屋はどんな様子だったのかといった質問の他に、
お寺は何をするところなのか、仏教って何なのかといったお尋ねもあります。
オウム真理教の元信者であった青年の「お寺は風景でしかなかった」という
言葉に、ショックを受けた身としては、こうして子ども達が来て下さること、
そして、こういう質問を頂くことに、我が意を得たりと嬉しくなって、仏教
のみ教えの一端でもお伝えせねばと、張り切ってしまいます。
今回、数人の児童の方が、本堂の欄間の彫刻、とりわけ双頭の鳥「共命鳥
(ぐみょうちょう)」に強い関心を持たれ、質問をされました。
頭が二つで体が一つ、二つの頭が一つの体(命)を共有していることから
「共命鳥」と呼ばれるこの鳥は、『阿弥陀経』には、極楽浄土において白鳥、
孔雀、オウム、モズ、カリョウビンガなどの美しい鳥と共に日に六回、
美しい鳴き声で仏さまのみ教えを説き、聞く者をして自然に仏・法・僧の
三宝を敬う心を起こさせる、と説かれています。
しかし同時に、共命鳥には悲しい物語も説かれています。
二つの頭はそれぞれに自分の意思を持っていましたが、いつも互いを思い
やり自分だけの我を通さず、よく話し合って仲良く暮らしていました。
長い長い年月、そうして平和に暮らしていましたが、いつしか片方の頭が
そういう暮らしに倦み「こいつさえいなければ、もっと自由にどこにでも
飛んで行けるし、おいしい物も独り占めできるのに…」とよこしまな心を
起こし、ついにそれを押さえきれなくなりました。
そこで、もう一方の頭に「じつはすばらしくおいしい木の実を見つけ
たんだ。取りに行こうじゃないか」と、持ちかけました。が、本当は毒の
実を食べさせようと企んでいたのでした。計画はうまくいき、だまされた
もう一方の頭がまんまと毒の実を食べてしまいました。
これで邪魔者はいなくなったと喜んだのもつかの間、身体は一つしか無い
ので、哀れ共々に息絶えてしまいました。
きわめて近しい関係の者同士が、傷つけ合い殺し合う。それ故、共命鳥は
この娑婆世界では生きられず、お浄土でしか生きられないのだと説かれた
のです。
今一歩踏み込んで、よく考えたいのは、実は私たちの誰もがこの地球と
いう星より他に居場所のない、いのちを共にする存在、誰もが実は共命鳥
なのだという事実です。
その事実への目覚め促す事が仏さまのご本心であり、争いや差別のない
世界を願うほとけごころなのです。
ちなみに、共命鳥の鳴き声は「他を滅ぼす道は己を滅ぼす道、他を生かす
道こそ己の生かされる道」と説いていると言われます。
坊守たより
ー前住職が満100歳となりますー
昨年の年始に、「今年で数え100歳です。ご長寿ですね。」と、家族で
喜びの言葉を交わしました。
実のところは満年齢のお誕生日には、まだ2年かかります。高齢になり
ますと、長い2年かもしれないと思っていました。
この間には、帯状疱疹になったり、痛風の症状が強く出たりと、度々
救急のお世話にもなりました。
ですがその都度、強い回復力で元気な日常を取り戻しています。
先日、岸田総理大臣から額付きで、100歳を迎えたお祝いの賞状と
銀の杯を送っていただきました。さっそく庫裏の玄関に飾らせて頂きました。
嬉しいことです。
前住職の過ごした100年の間、安泉寺も時代の変遷と共に歩んで来ました。
川のせせらぎの聞こえるのどかな土地であった時代から、戦後、人口過密な
時代も過ごしました。
これからも歴史を大切につないでいきたい事です。
十月の行事
5 日(木) 午前10時半~ ピラティス
19日(木) 午前10時半~ ピラティス
21日(土) 午後2時~ 祥月講・同朋の会
ご講師 圓龍寺 門井 斉師
十一月の行事
5 日(日) 午後1時~ おみがき・清掃奉仕
12日(日) 報 恩 講 昼2 時 大 逮 夜
引き続き 御伝鈔拝読
ご講師 泉大津 南溟寺 戸次公正師
16日(木) 午前10時半~ ピラティス
30日(木) 午前10時半~ ピラティス
*感染予防には十分配慮し各行事を 行いますが、感染が拡大した
場合、変更もしくは中止する場合がござ います。ご承知おきください。
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