2024.01.02ブログ
法悦 1月
法 悦 1月号 880号
ももとせを いのるこころの おろかさよ
なむあみだぶつの 無量寿なるに
光寿無量
本年も宜しくお願い申し上げます
念ずれば花ひらく 坂村真民
念ずれば花ひらく
苦しいとき
母がいつも口にしていた
このことばを
わたしもいつのころからか
となえるようになった
そうしてそのたび
わたしの花がふしぎと
ひとつひとつ
ひらいていった
青色青光
上記の詩は宗教詩人、坂村真民の代表作です。幼いころに父を亡くし、
どん底生活の中、母親の苦労を見て育った真民は、母が自らを励ます
ためにつぶやいていた「念ずれば花開く」
のひと言に、いつしか自身も励まされる身となっていた事に気付かされ、
その感動を詠ったものです。
一般的には、まず念ずるということがあり、様々努力してこそ、花も
開くんだと、捉えられています。
しかし、いま一歩深く観てまいりますと、ここで言われる念とは、自身の
念ずる心というよりも、むしろ自らが念ずるに先立って、願いかけ念ぜられ
続けていればこそ、自らの内に芽生えたこころであると言えましょう。
そして、その事実に驚き、手が合わさり頭が下がった、言わば依って立つ
大地が見いだされ、花開く場がすでにして与えられていた、そのわが身の事実に
気付かされた、という感動が根底にあるのではないでしょうか。
他の誰でもなく、念ずるこの私もまた、無量無数のご縁を賜ってこそのわが身、
私の意志で、私の選びで手を合わせるのではなく、計らわざるに念ぜられ
ていた、
その事実にこそ励まされ、念ずる身となると知られるのです。
住職日々随想
最近よく耳にするようになった言葉に
「終活」があります。
「終活」とは、人生の最期に向けて行う活動、具体的な活動内容は人それぞれ
ですが、主に、自分の遺産相続や遺品整理の手続きについて情報をまとめたり、
自身の人生観や半生をふまえて、遺志を書き残したりする事前準備の事と、
一般的にはとらえられています。
確かに家族を失い残された遺族が、葬儀の行い方について思い悩んだり、
事務的な手続きや遺品などをどう扱えば良いのか、途方に暮れ悲しむ暇もない、
などということも有りますから、誰にとっても無関心では済まされない事では
あります。
しかし宗教学者の釋徹宗師は、「終活は現代社会から我々に出された宿題です。
その在り方が問われている終末期医療や、地域コミュニティの崩壊に伴う孤立や
孤独死など、様々な課題を抱える現代社会にあっては、終活が単なる実務作業で
事足れりと言えるようなものではなく、自身の死に向き合い宗(根本)に目を
向けていく、大切な機縁である」と、指摘しておられます。
まさに私たちの宗(根本)、自身の依って立つ足元から問われていると申せ
ましょう。
多くの年配の方が「家族や周りの者に迷惑をかけたくない。自分の人生の
終わり方や、死後の様々な事柄に関することも自分で決めておきたい」などと
仰いますし、それが終活を考える動機になってはいます。
しかし、今日ただ今まで、誰にも迷惑をかけず、誰の世話にもならないで
生きてこれた者が、一人でもいるのでしょうか?
口にするもの全てが他の命であり、身に着ける全てが、他者の手を煩わした
ものであるという事実に思い至れば、むしろ迷惑をかけずには、一日たりとも
生きられない存在、それが私たちの実相と気付かされます。
生まれる時も、誰を母に誰を父にどこに生まれたいと、選んで生まれたわけ
でもなければ、「あしたには紅顔あって、夕べには白骨となれる身なり」と
御文に説かれているように、その終わりもままならないのも、この身の事実に
他ならないのです。
死が生と同等に、私たちの理解を超えた事柄であり、かつ無限との接点で
あり、日常に流していってしまってはいけない、まさに特別な事柄である
という事を、意識するしないに関わらず、実は私たちは知っているのです。
だからこそ、お念仏のみ教えにわが身を問い続けていくことこそが、
まことの「終活」であると言えるのです。
真宗入門
-法名と戒名-
「釋○○」や「○○信士」といった法名や戒名にはどんな違いがあり、
また、どんな意味があるのでしょうか?
「釋○○」「釋尼○○」は「法名」といい、浄土真宗で用います。
「釋(釈)」の字はお釈迦様の「釈」を意味し、お釈迦様の弟子、
仏弟子としての名告りを表しています。
一方「○○信士」や「○○信女」は「戒名」といい、五戒や十戒など、
定められた戒律を受けた者に付けられる名です。
しかし、浄土真宗には受戒はなく、僧俗の区別や身分、字数による
階級の別もありません。
すべては「釈」の名のもとに差違はなく、共に仏弟子となるのです。
法名は亡くなられた時に付ける名前のように思われていますが、
そうではありません。本来は「帰敬式(おかみそり)」を受式し、
生前に頂くものです。
法語の味わい
ーカレンダー一月号よりー
阿弥陀さまは今ここに
うれしい時も悲しい時も
皆様に配布させていただきましたカレンダー一月号の言葉の
味わいに、大谷派坂木恵定先生の詩をご紹介させて頂きます。
私たちの日ごろのこころを言い当てて下さっています。
「人の死にあい悲しみ 人が生まれるを喜ぶ
別れを悲しみ 会うを喜ぶ
ほめられて喜び くさされて悲しむ
損をしたと茫然とし 得をしたと喜ぶ
病みて悲しみ 治ったと喜ぶ
それが死ぬまで続く凡夫の私だ
凡夫はこの他に 何も知らない」
私達の毎日は有頂天になったり落ち込んだり、慌ただしい
日暮らしです。
どうぞ日常生活の気分転換・阿弥陀様のおられる本堂に
お参りくださいませ。
ご一緒に聞法、茶話会などいたしましょう。
坊守便り
「生野再発見SDG,sまち歩き」に参加しました
生野区人権啓発研修でJR鶴橋駅から北鶴橋小学校まで歴史街道
をめぐりました。
まずは鶴橋駅からスタートです。
現在はJR環状線・近鉄線・地下鉄と便利にそろい、乗り継いで
いますが明治28年にJRが出来た時は、天王寺から玉造の間が開業され、
桃谷駅(旧桃山駅)は有りましたが、鶴橋にはまだ駅がありませんでした。
その後昭和3年に近鉄電車が開通しましたが、駅は現在の西口のみでした。
そして、昭和7年にはJRにも鶴橋駅が出来、昭和44年に地下鉄が出来て、
現在のような姿になったとお聞きしました。
一説には、疎開道路は川を疎開させて、疎開道路と呼ばれるようになった、
と聞き及んでおりました。
その川の埋め立て後は、すべて住宅になっておりましたが、先の戦争
の末期に、火災の拡大を避ける為、多くの家屋が引き倒され、強制疎開と
なったことが疎開道路の通称の語源であるとお聞きしました。
お寺の周辺も、時代と共に変わり続けて来たことだと改めて思わされました。
古い歴史を知り、新しい街と共存していかなければと思うことです。
一月の行事
14日(日)正午~ 同朋の会・新年互礼会
18日(木)午前10時半~ ピラティス
25日(木)午前10時半~ ピラティス
二月の行事
1 日(木)午前10時半~ ピラティス
17日(土)午後 2時~ 同朋の会聞法会
地域懇親法話会
詳細未定
22日(木)午前10時半~ ピラティス
*感染予防には十分配慮し各行事を行いますが、感染が再拡大した
場合、変更もしくは中止する事がございます。
ももとせを いのるこころの おろかさよ
なむあみだぶつの 無量寿なるに
光寿無量
本年も宜しくお願い申し上げます
念ずれば花ひらく 坂村真民
念ずれば花ひらく
苦しいとき
母がいつも口にしていた
このことばを
わたしもいつのころからか
となえるようになった
そうしてそのたび
わたしの花がふしぎと
ひとつひとつ
ひらいていった
青色青光
上記の詩は宗教詩人、坂村真民の代表作です。幼いころに父を亡くし、
どん底生活の中、母親の苦労を見て育った真民は、母が自らを励ます
ためにつぶやいていた「念ずれば花開く」
のひと言に、いつしか自身も励まされる身となっていた事に気付かされ、
その感動を詠ったものです。
一般的には、まず念ずるということがあり、様々努力してこそ、花も
開くんだと、捉えられています。
しかし、いま一歩深く観てまいりますと、ここで言われる念とは、自身の
念ずる心というよりも、むしろ自らが念ずるに先立って、願いかけ念ぜられ
続けていればこそ、自らの内に芽生えたこころであると言えましょう。
そして、その事実に驚き、手が合わさり頭が下がった、言わば依って立つ
大地が見いだされ、花開く場がすでにして与えられていた、そのわが身の事実に
気付かされた、という感動が根底にあるのではないでしょうか。
他の誰でもなく、念ずるこの私もまた、無量無数のご縁を賜ってこそのわが身、
私の意志で、私の選びで手を合わせるのではなく、計らわざるに念ぜられ
ていた、
その事実にこそ励まされ、念ずる身となると知られるのです。
住職日々随想
最近よく耳にするようになった言葉に
「終活」があります。
「終活」とは、人生の最期に向けて行う活動、具体的な活動内容は人それぞれ
ですが、主に、自分の遺産相続や遺品整理の手続きについて情報をまとめたり、
自身の人生観や半生をふまえて、遺志を書き残したりする事前準備の事と、
一般的にはとらえられています。
確かに家族を失い残された遺族が、葬儀の行い方について思い悩んだり、
事務的な手続きや遺品などをどう扱えば良いのか、途方に暮れ悲しむ暇もない、
などということも有りますから、誰にとっても無関心では済まされない事では
あります。
しかし宗教学者の釋徹宗師は、「終活は現代社会から我々に出された宿題です。
その在り方が問われている終末期医療や、地域コミュニティの崩壊に伴う孤立や
孤独死など、様々な課題を抱える現代社会にあっては、終活が単なる実務作業で
事足れりと言えるようなものではなく、自身の死に向き合い宗(根本)に目を
向けていく、大切な機縁である」と、指摘しておられます。
まさに私たちの宗(根本)、自身の依って立つ足元から問われていると申せ
ましょう。
多くの年配の方が「家族や周りの者に迷惑をかけたくない。自分の人生の
終わり方や、死後の様々な事柄に関することも自分で決めておきたい」などと
仰いますし、それが終活を考える動機になってはいます。
しかし、今日ただ今まで、誰にも迷惑をかけず、誰の世話にもならないで
生きてこれた者が、一人でもいるのでしょうか?
口にするもの全てが他の命であり、身に着ける全てが、他者の手を煩わした
ものであるという事実に思い至れば、むしろ迷惑をかけずには、一日たりとも
生きられない存在、それが私たちの実相と気付かされます。
生まれる時も、誰を母に誰を父にどこに生まれたいと、選んで生まれたわけ
でもなければ、「あしたには紅顔あって、夕べには白骨となれる身なり」と
御文に説かれているように、その終わりもままならないのも、この身の事実に
他ならないのです。
死が生と同等に、私たちの理解を超えた事柄であり、かつ無限との接点で
あり、日常に流していってしまってはいけない、まさに特別な事柄である
という事を、意識するしないに関わらず、実は私たちは知っているのです。
だからこそ、お念仏のみ教えにわが身を問い続けていくことこそが、
まことの「終活」であると言えるのです。
真宗入門
-法名と戒名-
「釋○○」や「○○信士」といった法名や戒名にはどんな違いがあり、
また、どんな意味があるのでしょうか?
「釋○○」「釋尼○○」は「法名」といい、浄土真宗で用います。
「釋(釈)」の字はお釈迦様の「釈」を意味し、お釈迦様の弟子、
仏弟子としての名告りを表しています。
一方「○○信士」や「○○信女」は「戒名」といい、五戒や十戒など、
定められた戒律を受けた者に付けられる名です。
しかし、浄土真宗には受戒はなく、僧俗の区別や身分、字数による
階級の別もありません。
すべては「釈」の名のもとに差違はなく、共に仏弟子となるのです。
法名は亡くなられた時に付ける名前のように思われていますが、
そうではありません。本来は「帰敬式(おかみそり)」を受式し、
生前に頂くものです。
法語の味わい
ーカレンダー一月号よりー
阿弥陀さまは今ここに
うれしい時も悲しい時も
皆様に配布させていただきましたカレンダー一月号の言葉の
味わいに、大谷派坂木恵定先生の詩をご紹介させて頂きます。
私たちの日ごろのこころを言い当てて下さっています。
「人の死にあい悲しみ 人が生まれるを喜ぶ
別れを悲しみ 会うを喜ぶ
ほめられて喜び くさされて悲しむ
損をしたと茫然とし 得をしたと喜ぶ
病みて悲しみ 治ったと喜ぶ
それが死ぬまで続く凡夫の私だ
凡夫はこの他に 何も知らない」
私達の毎日は有頂天になったり落ち込んだり、慌ただしい
日暮らしです。
どうぞ日常生活の気分転換・阿弥陀様のおられる本堂に
お参りくださいませ。
ご一緒に聞法、茶話会などいたしましょう。
坊守便り
「生野再発見SDG,sまち歩き」に参加しました
生野区人権啓発研修でJR鶴橋駅から北鶴橋小学校まで歴史街道
をめぐりました。
まずは鶴橋駅からスタートです。
現在はJR環状線・近鉄線・地下鉄と便利にそろい、乗り継いで
いますが明治28年にJRが出来た時は、天王寺から玉造の間が開業され、
桃谷駅(旧桃山駅)は有りましたが、鶴橋にはまだ駅がありませんでした。
その後昭和3年に近鉄電車が開通しましたが、駅は現在の西口のみでした。
そして、昭和7年にはJRにも鶴橋駅が出来、昭和44年に地下鉄が出来て、
現在のような姿になったとお聞きしました。
一説には、疎開道路は川を疎開させて、疎開道路と呼ばれるようになった、
と聞き及んでおりました。
その川の埋め立て後は、すべて住宅になっておりましたが、先の戦争
の末期に、火災の拡大を避ける為、多くの家屋が引き倒され、強制疎開と
なったことが疎開道路の通称の語源であるとお聞きしました。
お寺の周辺も、時代と共に変わり続けて来たことだと改めて思わされました。
古い歴史を知り、新しい街と共存していかなければと思うことです。
一月の行事
14日(日)正午~ 同朋の会・新年互礼会
18日(木)午前10時半~ ピラティス
25日(木)午前10時半~ ピラティス
二月の行事
1 日(木)午前10時半~ ピラティス
17日(土)午後 2時~ 同朋の会聞法会
地域懇親法話会
詳細未定
22日(木)午前10時半~ ピラティス
*感染予防には十分配慮し各行事を行いますが、感染が再拡大した
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