2024.03.28ブログ
法悦 4月
法 悦 4月号 883号
人間は
したいことをし
なりたいものに
なるためなら
何をしても
許されるのです
児玉暁洋師
青色青光
上記は、真宗大谷派教学研究所所長であり
「宗教者九条の会」の呼びかけ人でもある、
故、児玉暁洋師が、よく口にしておられた言葉です。
「したいこと」「なりたいもの…」とは、たちまち今したいこと、なりたい
ものなどではなく、「心の底から本当に」というニュアンスを伴うもの、
いわば一人ひとりのいのちの底に流れる本有の願心、その願心にこそ随順して
生きよ、という言葉と理解できます。
夢や希望は実現しなければ消えていきます。しかし本有の願心は、いのち
ある限り、否、娑婆のいのち尽きてもなお、受け継がれ保ち続けることの
出来るものなのです。
願心に随順し、願心を拠り所として歩む、その願生浄土の一道に立つとき、
どんな苦しいことがあっても、生き抜く勇気を賜るのです。
2024(令和六年)年三月十日、安泉寺第十六代の前住職、猪甘俊教が
寿算一〇二歳(満一〇〇歳四ヶ月)にて、いのちのふるさと、お浄土に還帰
いたしました。
行きつ戻りつはあっても、願生浄土の一道を、私たちに先だって指し示し、
歩み続けた一生涯でした。
住職日々随想
先に述べましたように、三月十日
安泉寺第十六代前住職の猪甘俊教が、寿算一〇二歳にて、還浄いたしました。
死者・行方不明者、約一〇万五〇〇〇人を出した、関東大震災の発災した
大正十二年に、父、猪甘俊諦、母、薰のもと、三人の姉と三人の妹の真ん中、
唯一の男子として誕生いたしました。
大谷大学宗教学科在学中には、世界的な禅研究の第一人者、鈴木大拙師の
薫陶も受けました。
第二次大戦末期、学徒兵として海軍航空隊に所属していましたが、幸か
不幸か、硫黄島に向けての出陣の直前、硫黄島部隊玉砕の報に接し、外地に
赴くことなく生還いたしました。
その後、七尾マサノの次女、美枝子と結婚、三女一男を得、病気気味の
父俊諦の後を継いで、若干二十八歳にて、安泉寺の第十六代目住職と
なりました。
そうした中、定時制高校の教員も兼職し、また保護司として、矯正指導
にも取り組んでおりました。
また、前住職は何事につけエネルギッシュで、オートバイでの長距離
ツーリングや社交ダンス、三味線、パソコン等々、興味関心のあることには、
常に前のめりな姿勢を保ち続けておりました。
九十八歳で周囲の自主返納の勧めにもかかわらず、運転免許証の更新を
いたしました。十年以上四輪車には乗っていなかったのですが、教習所
での実車運転も難なくこなしたことには驚かされました。
住職在位の五十年、そしてその後も九十九歳十ヶ月で療養生活に入る
まで、自分のことは自分で行い、現住職を助けて、法務もこなしてくれて
おりました。
そんな前住職は、軽度の脳梗塞を発症して入院するまで、七十四年前に
始めた毎月の寺報「法悦」にも、昨年九月まで寄稿し続け、
「安泉寺同朋の会」発足、発展にも尽力し、今日の安泉寺の礎を築きました。
真宗大谷派住職として、あるべき当たり前の姿とは申せ、実際にいのち
尽きるまで勤め続けられたことは、実に希有なことでございました。
まことによく働きよく遊び、その生を全うし尽くしました。まさに
門信徒の皆様をはじめ、数限りない方々のお支えを頂いてこれたからこそ、
歩み続けることの出来た一〇〇年でございました。
ご縁を頂きました皆様方に、篤く御礼申し上げます。
真宗入門 「念珠」
ー念珠の起源についてー
念珠の起源については諸説ありますが、念珠は仏前で身なりを整えて合掌
・礼拝する際に用いるものです。珠の数は、百八の煩悩ということから、
百八個を基本とし、その半数の五十四個、さらにその半数の二十七個が
一般的なようです。
ただし、真宗では、煩悩を滅するため、あるいは念仏を称えた数を数える
ために、念珠を用いることはありません。
お寺へのお参りをはじめ、葬儀やご法事などの仏事のときには、必ず持参
しましょう。
蓮如上人は数珠を持たずに合掌礼拝するのは、仏を手づかみにするような
ものだと戒めておられます。
合掌はご本尊・阿弥陀如来の前で、手のひらを合わせ、その両手に念珠を
かけます。このとき、両手の手首はみぞおちあたりになります。
両肘は張らず、指先はまっすぐに伸ばし、横から見ると、手指の線は、
体の線に対して、おおよそ45度の角度になります。
そして「南無阿弥陀仏」と心静かにお念仏を称えます。
法語の味わい ー法語カレンダー四月号よりー
釈尊のお出ましで
阿弥陀さまの大悲に遇う
歌手のさだまさしさんの『いのちの理由』という曲があります。
『私が生まれてきた訳は、父と母に会うため』と唄います。
『何のために生まれてきたの』と、問いかけています。
親鸞聖人は釈尊に「あなた様は2,000年の昔、 阿弥陀仏の
浄土を説くためにこそ、インドにお生まれくださいました」と喜び
讃えておられます。
そしてあらゆる経典を拝読され、「親鸞さん、私はあなたに
阿弥陀様の大悲に出遇っていただきたくてね、南無阿弥陀仏にあって
いただきたくてね」という、釈尊の深いお呼びかけに出遇われました。
親鸞聖人はこの出遇いに感動し、釈尊を讃えられました。それ故、
浄土真宗は弥陀・釈迦の二尊教とも言われるのです。
坊守便り ー前住職が還浄ー
3月10日に前住職がお浄土に還りました。
先の戦争に従軍し海軍に所属し訓練では九州や横浜に出向いていた
そうです。
当地での任務や訓練生活を、断片的に語っていましたが、帰還して
しばらくは気力も出なかったそうです。
その後、大学に復学して、日曜学校子供会の活動に、熱心に励んだ
ようで、他寺にも伺い、自坊でも教化活動に熱心だったようです。
当寺かよって下さった方々には特別な思い出があり、この度も
お見送り下さいました。
その後、定時制高校の教員をし、退職後は全国同朋会運動に賛同
して、安泉寺同朋の会を作りました。
会員の方々とは、共によく聞法し、よく旅にも出かけ、ご一緒に
楽しい時間をすごしたようです。
そのような志を引き継ぎ、現在の住職・坊守・若院も仏跡参拝や
各種講座に取り組んでおり、教化活動が伝承されていることを何より
喜んでいました。
病気が末期である事も、亡くなる3日前まで本人にもわからない様子で、
機嫌良く過ごしてお浄土へと参りました。「死ぬ事はこわくない、
先に行って待ってます」と元気に話す声が聞こえそうです。南無阿弥陀仏
四月の行事
4 日(木)午前10時半~ ピラティス
7 日(日)午前10時~午後1時 花祭り子ども会
お子様には軽食などもご用意いたします。
25日(木)午前10時半~ ピラティス
*四月の同朋の会は花祭りに振り替えます。
大人の方もぜひご参加下さい。
五月の行事
2 日(木)午前10時半~ ピラティス
16日(木)午前10時半~ ピラティス
18日(土)午後2時~ 同朋の会聞法会
ご講師 未 定
*能登地震被災者支援の募金呼びかけに対しまして、 門信徒皆様より
計、27万9550円の、義援金を お寄せ頂きました。
早速ご本山を通じ、被災地支援 に役立たせて頂きます。
ご協力の程、誠にありがとうございました。
篤く御礼申し上げます。
人間は
したいことをし
なりたいものに
なるためなら
何をしても
許されるのです
児玉暁洋師
青色青光
上記は、真宗大谷派教学研究所所長であり
「宗教者九条の会」の呼びかけ人でもある、
故、児玉暁洋師が、よく口にしておられた言葉です。
「したいこと」「なりたいもの…」とは、たちまち今したいこと、なりたい
ものなどではなく、「心の底から本当に」というニュアンスを伴うもの、
いわば一人ひとりのいのちの底に流れる本有の願心、その願心にこそ随順して
生きよ、という言葉と理解できます。
夢や希望は実現しなければ消えていきます。しかし本有の願心は、いのち
ある限り、否、娑婆のいのち尽きてもなお、受け継がれ保ち続けることの
出来るものなのです。
願心に随順し、願心を拠り所として歩む、その願生浄土の一道に立つとき、
どんな苦しいことがあっても、生き抜く勇気を賜るのです。
2024(令和六年)年三月十日、安泉寺第十六代の前住職、猪甘俊教が
寿算一〇二歳(満一〇〇歳四ヶ月)にて、いのちのふるさと、お浄土に還帰
いたしました。
行きつ戻りつはあっても、願生浄土の一道を、私たちに先だって指し示し、
歩み続けた一生涯でした。
住職日々随想
先に述べましたように、三月十日
安泉寺第十六代前住職の猪甘俊教が、寿算一〇二歳にて、還浄いたしました。
死者・行方不明者、約一〇万五〇〇〇人を出した、関東大震災の発災した
大正十二年に、父、猪甘俊諦、母、薰のもと、三人の姉と三人の妹の真ん中、
唯一の男子として誕生いたしました。
大谷大学宗教学科在学中には、世界的な禅研究の第一人者、鈴木大拙師の
薫陶も受けました。
第二次大戦末期、学徒兵として海軍航空隊に所属していましたが、幸か
不幸か、硫黄島に向けての出陣の直前、硫黄島部隊玉砕の報に接し、外地に
赴くことなく生還いたしました。
その後、七尾マサノの次女、美枝子と結婚、三女一男を得、病気気味の
父俊諦の後を継いで、若干二十八歳にて、安泉寺の第十六代目住職と
なりました。
そうした中、定時制高校の教員も兼職し、また保護司として、矯正指導
にも取り組んでおりました。
また、前住職は何事につけエネルギッシュで、オートバイでの長距離
ツーリングや社交ダンス、三味線、パソコン等々、興味関心のあることには、
常に前のめりな姿勢を保ち続けておりました。
九十八歳で周囲の自主返納の勧めにもかかわらず、運転免許証の更新を
いたしました。十年以上四輪車には乗っていなかったのですが、教習所
での実車運転も難なくこなしたことには驚かされました。
住職在位の五十年、そしてその後も九十九歳十ヶ月で療養生活に入る
まで、自分のことは自分で行い、現住職を助けて、法務もこなしてくれて
おりました。
そんな前住職は、軽度の脳梗塞を発症して入院するまで、七十四年前に
始めた毎月の寺報「法悦」にも、昨年九月まで寄稿し続け、
「安泉寺同朋の会」発足、発展にも尽力し、今日の安泉寺の礎を築きました。
真宗大谷派住職として、あるべき当たり前の姿とは申せ、実際にいのち
尽きるまで勤め続けられたことは、実に希有なことでございました。
まことによく働きよく遊び、その生を全うし尽くしました。まさに
門信徒の皆様をはじめ、数限りない方々のお支えを頂いてこれたからこそ、
歩み続けることの出来た一〇〇年でございました。
ご縁を頂きました皆様方に、篤く御礼申し上げます。
真宗入門 「念珠」
ー念珠の起源についてー
念珠の起源については諸説ありますが、念珠は仏前で身なりを整えて合掌
・礼拝する際に用いるものです。珠の数は、百八の煩悩ということから、
百八個を基本とし、その半数の五十四個、さらにその半数の二十七個が
一般的なようです。
ただし、真宗では、煩悩を滅するため、あるいは念仏を称えた数を数える
ために、念珠を用いることはありません。
お寺へのお参りをはじめ、葬儀やご法事などの仏事のときには、必ず持参
しましょう。
蓮如上人は数珠を持たずに合掌礼拝するのは、仏を手づかみにするような
ものだと戒めておられます。
合掌はご本尊・阿弥陀如来の前で、手のひらを合わせ、その両手に念珠を
かけます。このとき、両手の手首はみぞおちあたりになります。
両肘は張らず、指先はまっすぐに伸ばし、横から見ると、手指の線は、
体の線に対して、おおよそ45度の角度になります。
そして「南無阿弥陀仏」と心静かにお念仏を称えます。
法語の味わい ー法語カレンダー四月号よりー
釈尊のお出ましで
阿弥陀さまの大悲に遇う
歌手のさだまさしさんの『いのちの理由』という曲があります。
『私が生まれてきた訳は、父と母に会うため』と唄います。
『何のために生まれてきたの』と、問いかけています。
親鸞聖人は釈尊に「あなた様は2,000年の昔、 阿弥陀仏の
浄土を説くためにこそ、インドにお生まれくださいました」と喜び
讃えておられます。
そしてあらゆる経典を拝読され、「親鸞さん、私はあなたに
阿弥陀様の大悲に出遇っていただきたくてね、南無阿弥陀仏にあって
いただきたくてね」という、釈尊の深いお呼びかけに出遇われました。
親鸞聖人はこの出遇いに感動し、釈尊を讃えられました。それ故、
浄土真宗は弥陀・釈迦の二尊教とも言われるのです。
坊守便り ー前住職が還浄ー
3月10日に前住職がお浄土に還りました。
先の戦争に従軍し海軍に所属し訓練では九州や横浜に出向いていた
そうです。
当地での任務や訓練生活を、断片的に語っていましたが、帰還して
しばらくは気力も出なかったそうです。
その後、大学に復学して、日曜学校子供会の活動に、熱心に励んだ
ようで、他寺にも伺い、自坊でも教化活動に熱心だったようです。
当寺かよって下さった方々には特別な思い出があり、この度も
お見送り下さいました。
その後、定時制高校の教員をし、退職後は全国同朋会運動に賛同
して、安泉寺同朋の会を作りました。
会員の方々とは、共によく聞法し、よく旅にも出かけ、ご一緒に
楽しい時間をすごしたようです。
そのような志を引き継ぎ、現在の住職・坊守・若院も仏跡参拝や
各種講座に取り組んでおり、教化活動が伝承されていることを何より
喜んでいました。
病気が末期である事も、亡くなる3日前まで本人にもわからない様子で、
機嫌良く過ごしてお浄土へと参りました。「死ぬ事はこわくない、
先に行って待ってます」と元気に話す声が聞こえそうです。南無阿弥陀仏
四月の行事
4 日(木)午前10時半~ ピラティス
7 日(日)午前10時~午後1時 花祭り子ども会
お子様には軽食などもご用意いたします。
25日(木)午前10時半~ ピラティス
*四月の同朋の会は花祭りに振り替えます。
大人の方もぜひご参加下さい。
五月の行事
2 日(木)午前10時半~ ピラティス
16日(木)午前10時半~ ピラティス
18日(土)午後2時~ 同朋の会聞法会
ご講師 未 定
*能登地震被災者支援の募金呼びかけに対しまして、 門信徒皆様より
計、27万9550円の、義援金を お寄せ頂きました。
早速ご本山を通じ、被災地支援 に役立たせて頂きます。
ご協力の程、誠にありがとうございました。
篤く御礼申し上げます。
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