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西新宿 彩旬亭

2024.09.30ブログ

法悦 10月

法 悦10月号 889号

ひとりとして生まれ

ひとり死ぬのだから

かけがえのない尊いひとりなのに

その事実から逃れるために

事実をおおいかくし

紛らわすための明るさを求めようとする

人生が虚飾に満ちるのはこのためだ。

養護施設「暁学園」施設長 祖父江文宏著
「季節を動かすこどもたち」より
青色青光

上記の文章は、長年、養護施設の園長として奮闘してこられた、祖父江文宏氏
の著作からのものですが、その中で、親と離れて学園で暮らすこども達の
誰もが、一人っきりになる場所を持っている。
それは切羽詰まった暴力的とも言える激情が求めさせるところだと、以下の
ように述べておられます。
「五〇通りの人生には、五〇通りの、親と離れなければならなかった理由が
ありますが、理由はいつも親と大人達の側の理由でしかなく、誰ひとりとして
納得のいく理由で学園にやってきたこどもはいないのです。
納得よりは疲れが、希望よりはあきらめが、親が去った事実によって生み
出され、こども達を侵してきたのです。
こども達が、ひとりの場所を求めるのは、生まれ出る前の母親の胎内を求める
からかもしれません。
だから学園のこども達が求めるひとりになれる場所は、身体中の哀しさを
涙にして流す場所なのです。」
ひとはお釈迦様が仰るように「独り生まれ、独り死し、独り去りて、
独り来たる」存在、あまりにも早くから、その根源的な事実を受け止めざる
を得ないこども達、小さな胸の内の悲しみの深さに心痛みます。
が、それはこの子たちだけでなく、じつは誰もが向き合わなければならない、
我が身の事実なのです。

住職日々随想

まもなく放送終了となるNHK朝の連続テレビ小説「虎に翼」は、人と司法
の関わりという難しい題材を取り上げ、ジェンダー差別や家族のあり方、
戦争犯罪や原爆裁判、DVと尊属殺人など、現代にも通じるさまざまな課題を
提示し、吉田恵里香氏の優れた脚本と共に、楽しく、そして深く考えさせ
られる内容に富んでいて、司法の現場で活躍する方々からも広く支持されて
いるそうです。
そのドラマの中、家裁判事の主人公にナイフを向けながら、問題行動を
起こした少女の発した「どうして人を殺してはいけないの?」に既視感を
覚えました。
それは、もう何十年も前に放映された「十代しゃべり場」という討論
番組の中での出来事ですが、ひとりの青年が唐突に同じ疑問を口にしました。
が、その場にいた参加者や司会進行役の大人をはじめ、誰からも言葉が
出ず、場が凍り付いたようになってしまった事と、重ね合わせ思い出し
たからです。
その青年も人の命を奪うことは許されないと、ずっと聞かされ続け、
十分承知していたに違いありません。が、現実の社会はどうか、と言えば、
各地の紛争や戦火の中で殺し殺される事実が厳然として存在している、
そのことに対する批判が「どうして人を殺してはいけないのか?」という
言葉になって出てきたものと了解していました。
今回ドラマの中では、主人公に「奪われた命は元には戻せない。死んだ
相手とは言葉を交わすことも、ふれあうことも何かを共有することも、
永久に出来ない。だからひとは生きることに尊さを感じて、人を殺しては
いけないと本能で理解している。」
「理由がわからないからやっていいじゃなくて、わからないからこそ、
奪う側にならない努力をすべきと思う。」と言わせ、なるほどと思わず
膝を打ちました。
原始経典の法句経に、お釈迦様の「すべての者は暴力におびえる。
すべての生きものにとって生命は愛しい。己が身にひきくらべて、
殺してはならぬ。殺さしめてはならぬ。」のお言葉があります。
後に仏弟子の戒律の第一として、アヒンサー(不殺生戒)が設けられ
ましたが、そこにはお釈迦様のご出身の部族が、隣国の王子の激しい
恨みを買い、お釈迦様をしてもとどめることが出来ずに、老いも若きも
皆殺しにされた、という痛ましい歴史をお持ちだったからこそ生まれた、
まさに血を吐くようなお言葉だったのです。

真宗入門「お仏供(ぶく)(お仏飯(ぶつぱん))」

お内仏にお備えする白いごはんをお仏供(お仏飯)と言います。
「盛槽(もつそう)」と言われる筒に、ところてんを押し出すように、
ごはんを詰めて突き出し、仏器と呼ばれる器に、円筒形に形を整え
盛り付けます。
朝ご飯を炊いたときに、最初のごはんを先に述べましたように
盛り付け、ご本尊正面の上卓(うわじょく)に一つお備えします。
このとき仏供台があればその上に置きます。
大型のお内仏でスペースがあれば、上卓にお仏供を一対お備え
します。
また、正面の両脇がけが親鸞聖人・蓮如上人の御影であれば、
それぞれの前にもお備えします。
お仏供は朝お勤めの後にお備えし、正午過ぎにお控えします。
お内仏はお浄土の象(かたど)り、蓮の花は悟りの象徴です。
わけても、お仏供は煩悩の濁りに染まぬ白蓮華を表しています。
ですからお仏供は「お供えする」とは申しません。お浄土に
すでに備わっている荘厳を整える、という意味で「お備えする」
と表現します。
ちなみに大谷派(お東)では、開いた蓮の花のように円筒形に、
本願寺派(お西)では蓮のつぼみのように三角すいに盛り付けます。

法語の味わい
ー法語カレンダー10月号よりー

 ご法座に集える喜び
ようこそ ようこそ 


世間の濁りに染まぬ白蓮華(妙好華)のように、とりわけ篤信の
真宗門徒を「妙好人」と称します。
妙好人、因幡の源左さんは「ようこそ、ようこそ、さてもさても」
が口癖でした。ようこそとは因幡(鳥取)地方の方言で「ありがとう」
の意味もあります。
阿弥陀様が、さてもこんな煩悩具足の私、この源左を、
「助けるぞ」と誓って下さった。
ありがとう、ありがとう」と、常に仏恩を喜ばれたのです。
源左さんのような、そうした先達方の願いを受けて法座に会い、
朋・同行と願生浄土の道を確かめ合う、かけがえのない場が
ご法座なのです。

ー坊守便りー

生野の歴史愛好会「いくナビ」の方々と鶴の橋、木村権右衛門邸跡、
御幸森神社など歴史の一コマ一コマを丁寧に説明していただきながら、
ご一緒に歩きます。
10月12・13日の二日間の行事です、どうぞこの機会に、
ふるってご参加ください。
今年三月に還淨致しました前住職が、青年でありました頃は、
鳥のさえずる川原に田んぼ、そしてその中に集落のある農村でした。
そんな猪飼野・生野区が現代の機能的な街と変化していく、
こもごものお話、江戸時代から昭和まで、猪飼野の大地主であった、
木村権右衛門氏の人となりなどを、猪飼野の歴史を研究されている、
猪飼野探訪会の小野賢一さんにお話いただきます。
高度経済成長の中、発展著しい昭和の時代には、顧みられなかった
古き佳き時代の歴史を、皆さんとご一緒に学びたいと思います。
二日目には、琵琶の弾き語りをベテラン野田勝香さんに、大坂夏の陣
で名をはせた、木村家ゆかりの名将、木村重成にまつわる「伽羅の冑」、
親鸞聖人の関東行脚のご苦労を現わした「石の枕」を演じていただきます。

十月の行事
3 日(木)午前10時半~ ピラティス
12日(土)午後3時~  生野歴史講演会
(生野エキスポ協賛事業)
13日(日)午後3時~  琵琶の演奏会
(生野エキスポ協賛事業)
*12.13日両日とも午後1時より猪飼野街歩き
いくナビ・ツーデイズがございます。
17日(木)午前10時半~ ピラティス
19日(土)午後4時~    同朋の会聞法会
ご講師 能登教区七尾 安泉寺住職 国分大慶師
*被災地能登の現況報告も兼ねてご法話いただきます。
遠方より来られますので4時からに変更いたします。
27日(日)午前9時~  難波別院報恩講団体参拝

十一月の行事
3 日(日)午後1時~ おみがき清掃ご奉仕
7 日(木)午前10時半~ ピラティス

12日(火)午後2時~報恩講
5時~御伝鈔拝読
ご講師 泉大津 南冥寺住職
戸次公正師

21日(木)午前10時半~ ピラティス
真宗大谷派 鶴栖山 安泉寺

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