2025.04.30ブログ
法悦 5月
法 悦5月号 896号
悲しみが濁れば
愚痴になる
怒りが濁れば
憎悪になる
愚痴も憎悪も
常に外に向かって
こころが動く
不純な悲しみや怒りは
自他を傷つけずにはおれない
宮城 顗師
青色青光
4月21日、信者十三億人を擁する、カトリック教会のフランシスコ教皇が、
八十八歳で亡くなりました。
清貧な生活を好まれ、過去のカトリック教会の犯した過ちに対して、懺悔の
表明をされました。
また世界の安寧と平和を祈りつつ、薬物依存症患者や性的少数者に寄り添う
など、改革派教皇とも称されていました。
そこに見られるのは、宗教の本来持つべき利他と寛容の精神と言えるで
しょう。
仏説無量寿経に「国富民安、兵戈無用」、つまり仏の赴くところは国豊かに
して、武器も軍隊も必要が無く平和が保たれている、とあります。
また、親鸞聖人のお手紙にも「御報恩のために、御念仏、こころにいれて
もうして、世のなか安穏なれ、仏法ひろまれと、おぼしめすべしとぞおぼえ
そうろう」とあります。
相愛大学の新井俊一教授は「浄土真宗は祈りなき宗教と言われますが、
だからと言って祈りを排斥するよりも,浄土真宗は如来の祈りの上に立つ
宗教と、言い換えた方がいいのではないか」と提起しておられます。
現実の娑婆世界には、真実の平和や永遠の安らぎはありません。
しかし、我々にかけられた如来の祈りを憶念するところに、求めずに
おれない心が念仏生活に研ぎ澄まされて、諦めず歩む力となっていくのです。
住職日々随想
浄土真宗のご法事では、お釈迦様のご説法を文字に起こしたお経、中でも
浄土三部経を読誦いたします。
八万四千とも言われる、およそ全ての経典が、お釈迦様が舎利弗などの、
仏弟子の問いにお応えになって述べられたお説法を、文字にしたものです。
ところが仏説阿弥陀経だけは、どなたかの問いにお応えになった
というのではなく、問わず語りに、つまり、お釈迦様ご自身が一番残し
置きたいお言葉をお述べになったお経「無問自説の経」「出世本懐の経」
と称されています。
この阿弥陀経の冒頭には、お釈迦様が舎衛国の祇樹給孤独園という
ところに、1250人の阿羅漢、数多くの菩薩や仏弟子方と共に居られた
とき、舎利弗を主な聞き手、対告衆(たいごうしゅう)として、
阿弥陀如来の極楽浄土の素晴らしい諸相と、そのお徳を六方におわします
諸仏方が褒め称えられ、お念仏する願生者を守護して、必ず仏陀の悟りを
得しめることが説かれています。
ではなぜお釈迦様は、ご自身の出世の本懐をお説きになったのでしょうか?
祇樹給孤独園、略して祇園精舎と言われている場の持つ願いに、深く
感応されたからに違いありません。
その由来とは、コーサラ国にスダッタという名の大金持ちの商人が
いました。熱心な在家の仏弟子となったスダッタは
「鰥寡孤独(かんかこどく)」…鰥は連れ合いに先立たれた男、寡は
同じく連れ合いに先立たれた女性、孤は親を亡くした孤児、そして
独は独居老人、などの身寄りの無い方々に、施しをするという善行に励み、
「給孤独長者」と親しく呼ばれていました。
この長者は年来の願いとして、お釈迦様に長くお留まり頂き、親しく
お説法をお聞かせ頂きたいと念じておりましたが、たまたま目にした
ギータ王子の所有する園があまりに素晴らしいので、ぜひ分けてほしい
と懇願しました。
が、王子は自身もお気に入りの園だと断ります。それでも懲りずに
願い出る長者に根負けし「この園に黄金を敷き詰めれば、その分だけ
分けてやろう。」と難題をふっかけました。ところが喜んだ長者は自身の
財産を全て黄金に替え、早速敷き詰め始めました。たちまち無一文になり
ましたが、それでも懸命に働き、一枚また一枚と敷き詰めていきました。
その姿を目にしたギータ王子が、その理由を尋ね、深く心打たれ、
それならばと共に精舎を建てて、お釈迦様をお迎えいたしました。
そんな場の持つ深い願いこそが、お釈迦様のお心に響き、問わず語りに、
一番この世にお残しになりたかった、阿弥陀仏のお救いをお説きに
なったのです。
真宗入門「東本願寺と西本願寺」
浄土真宗には十派の宗派があります。
どうして、東本願寺と西本願寺などに別れているのでしょうか?
もともとは一つの「本願寺」でしたが、江戸時代初めに東西に分立
しました。
その発端は、戦国時代におこった「石山合戦」にあると言われています。
これは天下統一を目指していた織田信長から、当時の本願寺の本拠地、
石山本願寺(現在の大阪城あたり)の明け渡しを要求されたことに
始まります。
明け渡しを拒み一〇年に及ぶ合戦をしましたが、宗主・顕如上人は
紀州に退去しました。
長男・教如上人は親鸞聖人の御座所を守ろうと、本願寺に籠城しましたが、
援軍も断たれ、最後には本願寺を明け渡しました。
信長の死後、教如上人は十二代を引き継ぎましたが、一年も経たない
うちに豊臣秀吉の命により、弟・准如上人に宗主を譲りました。
その後、徳川家康から七乗烏丸の土地の寄進を受けた教如上人が、
東本願寺を創立し現在にいたっています。
法語の味わい
ー法語カレンダー5月号よりー
こんな私でも
阿弥陀様は背を向けない。
阿弥陀さまは、私たちの病名を「煩悩具足の凡夫」と診断してください
ました。
煩悩海に沈みきって、むなしく終わっていく重病人とのお見立てです。
ところが私はと言えば、そんな事どこ吹く風というように、阿弥陀様に
背を向けっぱなしでした。
阿弥陀様のお救いは、煩悩や苦しみを持つ者すべてを、無条件で救済
してくださる慈悲のお働きです。
「勝手にせえ」と背中をむけずに「あんたを見捨てたら阿弥陀は阿弥陀
ではなくなる。」と見守って下さる、いのちのみ親なのです。
坊守便り ー 慶讃法要 ー
大阪教区慶讃法要が、4月17日
から20日まで、南御堂で行われました。
浄土真宗の宗祖親鸞聖人のご誕生
850年、立教開宗800年の節目
でもあります。
私達は、この法要で親鸞聖人がこの世に生まれて下さったこと、
「浄土の真宗」というみ教えを私達に遺して下さったことを慶び、
法要を厳修させていただきました。
安泉寺では、2年前にご本山の法要に先立って、お待ち受けの
慶讃法要を勤めさせて頂きました。
また昨年には、本山の法要に団体参拝させて頂きました。
今年も本堂に慶讃法要のポスターを掲示させて頂き、有志の方々に
参拝をお願い致しました。
当寺のご門徒様には、おそろいのTシャツを着用して頂き、今回は
最前列でお詣りさせて頂きました。
その模様はユーチューブでも生配信されたようです。
住職は、今回も全体の法要を先導するお役目を、四日間務めさせて
いただきました。
坊守も大阪教区坊守会からの要請で、有資格僧侶の装束を着用し、
二日間、法要と庭儀のお練りに参加させて頂きました。
当日はご門主の息子さんの新門さまが、朗朗としたお声を響かせて
下さり、宗務総長も締めくくりのご挨拶で「大きな節目を迎えま
したが、今からが始まりですよ。」と、気持ちの引き締まるお言葉を
頂きました。とても嬉しく楽しい法要でした。 合掌
五月の行事
1 日(木) 午前10時半~ ピラティス
15日(木) 午前10時半~ ピラティス
17日(土) 午後2時~ 祥月講・同朋の会聞法会
ご講師 圓龍寺 門井 斉師
六月の行事
5 日(木) 午前10時半~ ピラティス
21日(土) 午後2時~ 祥月講・同朋の会聞法会
ご講師 念仏寺 土井紀明師
19日(木) 午前10時半~ ピラティス
私たちが失ったのは 泣くという体験です。
無関心のグローバル化が
泣くという力を奪ったのです。
フランシスコ ローマ教皇
悲しみが濁れば
愚痴になる
怒りが濁れば
憎悪になる
愚痴も憎悪も
常に外に向かって
こころが動く
不純な悲しみや怒りは
自他を傷つけずにはおれない
宮城 顗師
青色青光
4月21日、信者十三億人を擁する、カトリック教会のフランシスコ教皇が、
八十八歳で亡くなりました。
清貧な生活を好まれ、過去のカトリック教会の犯した過ちに対して、懺悔の
表明をされました。
また世界の安寧と平和を祈りつつ、薬物依存症患者や性的少数者に寄り添う
など、改革派教皇とも称されていました。
そこに見られるのは、宗教の本来持つべき利他と寛容の精神と言えるで
しょう。
仏説無量寿経に「国富民安、兵戈無用」、つまり仏の赴くところは国豊かに
して、武器も軍隊も必要が無く平和が保たれている、とあります。
また、親鸞聖人のお手紙にも「御報恩のために、御念仏、こころにいれて
もうして、世のなか安穏なれ、仏法ひろまれと、おぼしめすべしとぞおぼえ
そうろう」とあります。
相愛大学の新井俊一教授は「浄土真宗は祈りなき宗教と言われますが、
だからと言って祈りを排斥するよりも,浄土真宗は如来の祈りの上に立つ
宗教と、言い換えた方がいいのではないか」と提起しておられます。
現実の娑婆世界には、真実の平和や永遠の安らぎはありません。
しかし、我々にかけられた如来の祈りを憶念するところに、求めずに
おれない心が念仏生活に研ぎ澄まされて、諦めず歩む力となっていくのです。
住職日々随想
浄土真宗のご法事では、お釈迦様のご説法を文字に起こしたお経、中でも
浄土三部経を読誦いたします。
八万四千とも言われる、およそ全ての経典が、お釈迦様が舎利弗などの、
仏弟子の問いにお応えになって述べられたお説法を、文字にしたものです。
ところが仏説阿弥陀経だけは、どなたかの問いにお応えになった
というのではなく、問わず語りに、つまり、お釈迦様ご自身が一番残し
置きたいお言葉をお述べになったお経「無問自説の経」「出世本懐の経」
と称されています。
この阿弥陀経の冒頭には、お釈迦様が舎衛国の祇樹給孤独園という
ところに、1250人の阿羅漢、数多くの菩薩や仏弟子方と共に居られた
とき、舎利弗を主な聞き手、対告衆(たいごうしゅう)として、
阿弥陀如来の極楽浄土の素晴らしい諸相と、そのお徳を六方におわします
諸仏方が褒め称えられ、お念仏する願生者を守護して、必ず仏陀の悟りを
得しめることが説かれています。
ではなぜお釈迦様は、ご自身の出世の本懐をお説きになったのでしょうか?
祇樹給孤独園、略して祇園精舎と言われている場の持つ願いに、深く
感応されたからに違いありません。
その由来とは、コーサラ国にスダッタという名の大金持ちの商人が
いました。熱心な在家の仏弟子となったスダッタは
「鰥寡孤独(かんかこどく)」…鰥は連れ合いに先立たれた男、寡は
同じく連れ合いに先立たれた女性、孤は親を亡くした孤児、そして
独は独居老人、などの身寄りの無い方々に、施しをするという善行に励み、
「給孤独長者」と親しく呼ばれていました。
この長者は年来の願いとして、お釈迦様に長くお留まり頂き、親しく
お説法をお聞かせ頂きたいと念じておりましたが、たまたま目にした
ギータ王子の所有する園があまりに素晴らしいので、ぜひ分けてほしい
と懇願しました。
が、王子は自身もお気に入りの園だと断ります。それでも懲りずに
願い出る長者に根負けし「この園に黄金を敷き詰めれば、その分だけ
分けてやろう。」と難題をふっかけました。ところが喜んだ長者は自身の
財産を全て黄金に替え、早速敷き詰め始めました。たちまち無一文になり
ましたが、それでも懸命に働き、一枚また一枚と敷き詰めていきました。
その姿を目にしたギータ王子が、その理由を尋ね、深く心打たれ、
それならばと共に精舎を建てて、お釈迦様をお迎えいたしました。
そんな場の持つ深い願いこそが、お釈迦様のお心に響き、問わず語りに、
一番この世にお残しになりたかった、阿弥陀仏のお救いをお説きに
なったのです。
真宗入門「東本願寺と西本願寺」
浄土真宗には十派の宗派があります。
どうして、東本願寺と西本願寺などに別れているのでしょうか?
もともとは一つの「本願寺」でしたが、江戸時代初めに東西に分立
しました。
その発端は、戦国時代におこった「石山合戦」にあると言われています。
これは天下統一を目指していた織田信長から、当時の本願寺の本拠地、
石山本願寺(現在の大阪城あたり)の明け渡しを要求されたことに
始まります。
明け渡しを拒み一〇年に及ぶ合戦をしましたが、宗主・顕如上人は
紀州に退去しました。
長男・教如上人は親鸞聖人の御座所を守ろうと、本願寺に籠城しましたが、
援軍も断たれ、最後には本願寺を明け渡しました。
信長の死後、教如上人は十二代を引き継ぎましたが、一年も経たない
うちに豊臣秀吉の命により、弟・准如上人に宗主を譲りました。
その後、徳川家康から七乗烏丸の土地の寄進を受けた教如上人が、
東本願寺を創立し現在にいたっています。
法語の味わい
ー法語カレンダー5月号よりー
こんな私でも
阿弥陀様は背を向けない。
阿弥陀さまは、私たちの病名を「煩悩具足の凡夫」と診断してください
ました。
煩悩海に沈みきって、むなしく終わっていく重病人とのお見立てです。
ところが私はと言えば、そんな事どこ吹く風というように、阿弥陀様に
背を向けっぱなしでした。
阿弥陀様のお救いは、煩悩や苦しみを持つ者すべてを、無条件で救済
してくださる慈悲のお働きです。
「勝手にせえ」と背中をむけずに「あんたを見捨てたら阿弥陀は阿弥陀
ではなくなる。」と見守って下さる、いのちのみ親なのです。
坊守便り ー 慶讃法要 ー
大阪教区慶讃法要が、4月17日
から20日まで、南御堂で行われました。
浄土真宗の宗祖親鸞聖人のご誕生
850年、立教開宗800年の節目
でもあります。
私達は、この法要で親鸞聖人がこの世に生まれて下さったこと、
「浄土の真宗」というみ教えを私達に遺して下さったことを慶び、
法要を厳修させていただきました。
安泉寺では、2年前にご本山の法要に先立って、お待ち受けの
慶讃法要を勤めさせて頂きました。
また昨年には、本山の法要に団体参拝させて頂きました。
今年も本堂に慶讃法要のポスターを掲示させて頂き、有志の方々に
参拝をお願い致しました。
当寺のご門徒様には、おそろいのTシャツを着用して頂き、今回は
最前列でお詣りさせて頂きました。
その模様はユーチューブでも生配信されたようです。
住職は、今回も全体の法要を先導するお役目を、四日間務めさせて
いただきました。
坊守も大阪教区坊守会からの要請で、有資格僧侶の装束を着用し、
二日間、法要と庭儀のお練りに参加させて頂きました。
当日はご門主の息子さんの新門さまが、朗朗としたお声を響かせて
下さり、宗務総長も締めくくりのご挨拶で「大きな節目を迎えま
したが、今からが始まりですよ。」と、気持ちの引き締まるお言葉を
頂きました。とても嬉しく楽しい法要でした。 合掌
五月の行事
1 日(木) 午前10時半~ ピラティス
15日(木) 午前10時半~ ピラティス
17日(土) 午後2時~ 祥月講・同朋の会聞法会
ご講師 圓龍寺 門井 斉師
六月の行事
5 日(木) 午前10時半~ ピラティス
21日(土) 午後2時~ 祥月講・同朋の会聞法会
ご講師 念仏寺 土井紀明師
19日(木) 午前10時半~ ピラティス
私たちが失ったのは 泣くという体験です。
無関心のグローバル化が
泣くという力を奪ったのです。
フランシスコ ローマ教皇
New Article
Archive
- 2025年4月
- 2025年3月
- 2025年2月
- 2025年1月
- 2024年11月
- 2024年9月
- 2024年7月
- 2024年6月
- 2024年5月
- 2024年4月
- 2024年3月
- 2024年2月
- 2024年1月
- 2023年11月
- 2023年10月
- 2023年8月
- 2023年7月
- 2023年6月
- 2023年5月
- 2023年4月
- 2023年3月
- 2023年2月
- 2023年1月
- 2022年12月
- 2022年11月
- 2022年10月
- 2022年8月
- 2022年7月
- 2022年5月
- 2022年4月
- 2022年2月
- 2022年1月
- 2021年12月
- 2021年11月
- 2021年10月
- 2021年8月
- 2021年6月
- 2021年4月
- 2021年3月
- 2021年2月
- 2020年12月
- 2020年10月
- 2020年9月
- 2020年8月
- 2020年7月
- 2020年4月
- 2020年3月
- 2020年2月
- 2019年12月
- 2019年11月
- 2019年10月
- 2019年9月
- 2019年8月
- 2019年7月
- 2019年6月
- 2019年5月
- 2019年3月
- 2019年1月
- 2018年12月
- 2018年11月
- 2018年10月
- 2018年9月
- 2018年8月
- 2018年7月
- 2018年6月
- 2018年5月