お知らせnews

西新宿 彩旬亭

2025.11.21ブログ

2025年 11月

法 悦11月号 902号


「国破れて山河あり。」
かつては抑止が破られ国が荒廃しても、
再建の礎は残っていました。
「国守りて山河なし。」
もし核による抑止が、歴史が証明する
ようにいつか破られて核戦争になれば、人類も地球も再生不能な惨禍に
見舞われます。
概念としての国家は守るが、国土も国民も復興不能な結末が有りうる
安全保障に、どんな意味があるのでしょう。
抑止力とは、武力の均衡のみを指すものではなく、ソフトパワーや
外交を含む広い概念であるはずです。
そして、仮に破れても人類が存続可能になるよう、抑止力から「核」
という要素を取り除かなければなりません。

2025年8月6日 80回目の原爆の日
湯崎英彦広島県知事のあいさつより 抜粋

青色青光
 自民党の高市早苗総裁が、第104代内閣総理大臣に就任
されました。
初の所信表明演説では、物価高対策にも触れておられましたが、より
強調されたのは、世界に冠たる強国としての日本経済の再生をめざす
という事と、安全保障に関する前のめりな姿勢で、賛否様々ありますが、
基本的には安倍元首相の路線の継承を目指すものです。
そのような中でも興味深かったのは、聖徳太子の十七条憲法の最後の
「それ事はひとり断(さだ)むべからず。かならず衆(しゅう)とともに
論(あげつら)うべし…」を引用されたことでした。
十七条の憲法は、国のまつりごとを担う官僚の心構えを説かれたもの
ですが、ベースとなっているのは仏教の和の精神です。
そこには強国としての日本と言うよりも「粟散国(粟粒を散らした
ような小国)」と自らの国が小国であるという自覚に立ち、だからこそ
争いあうよりも、和の精神をもって、まず心を合わせること。
それこそが小さな国を支える道であると明らかにされたのです。
さらには「日出ずる国の天子」として中華皇帝とも対等の「小さく
とも精神的に独立した国」と、謙虚でありながら、独立自尊の理念も
併せ持って、大国意識よりも精神の豊かさを持つ国を目指しておられました。
過去様々な問題発言もあった新首相ですが、所信表明演説で示された
謙虚な心を忘れず、和の精神をもって、国家に先だって、より国民を重んずる
舵取りをして頂きたいことです。

住職日々随想
 阿弥陀仏が法蔵菩薩として修行された時、師の仏である
世自在王仏のみ前において、四十八の誓願を建てられ、この願が成就し
なければ、私は仏にはならないと重ねて誓われました。
それから生まれ変わり死に変わり、兆歳永劫の無限のご修行の末、
願成就して阿弥陀仏となられた、と仏説無量寿経には説かれます。
この四十八の誓願全てに共通するのは、仏国土建立の誓いである
という事です。人類の歴史は国土建立、つまり「どの様な国を願うのか?」
国を作っては行き詰まり、また新たな国を作っては行き詰まり、それでも
国を作ることをあきらめる事が出来ずに繰り返す。
いつの時代も、人類は国を求めて、彷徨い続けてきたと言っても
過言では有りません。
今日、世界は自国ファースト、自国民ファーストのうねりの中、
国内外を問わず分断が進み、かつてなく緊張が高まっています。
ロシアによるウクライナへの軍事侵攻や、ハマスによる襲撃人質事件に
端を発する、イスラエルによるガザ地区での大量殺戮と、人為的に作られた
飢餓、その他にも至る所で紛争が勃発し、今に至っています。
一時停戦したとは言え、特にイスラエルによるガザ地区への執拗な攻撃は、
かつてナチスによるホロコーストを経験したユダヤ人国家が、何故同じ
ような人道犯罪を犯すのか、理解しがたいものがあります。
しかし、イスラエルの論理としては、二千年前にローマ帝国によって
追放され、その後ヨーロッパ各地に離散したユダヤ民族が、さまざまな迫害や
差別を受け、遂にはホロコーストを経験するに至った。
その原因は何か?それは国を失ったからに他ならないと。
第二次大戦後、建国を宣言したイスラエルが、アラブ人の居住地であった
パレスチナをアメリカの後ろ盾も得て、四度の中東戦争に勝利し、
アラブ人の居住地を奪い、現在も入植地を拡大し続けているのも、国を持ち、
圧倒的な武力を持たなければ、再び迫害を受けてしまうという極度の恐怖心
が有るからであり、それ故、世界中から非難されても不安の芽を根絶するのだ
、という強い国家的意志を持っているのです。
結局それぞれの国や民族が、他者に対する不信と恐怖から、現在の混沌とした
状況が生まれているのです。
だからこそ、阿弥陀仏が真実の国土を求められた。それは、ひとえに人間の
業とも言える、この迷いからの解放を願っての事なのです。
人類はまさに、選ばず嫌わず見捨てない弥陀の本願の国、浄土への道に
立たなければ救いはないのです。

真宗入門 ーお経って何でしょう?ー
お釈迦様の説法を聞いたお弟子がまとめられ、2500年の時を超えて
伝えられてきたものがお経です。インドの言葉でスートラといいます。
「スートラ」とは「糸」の意味で、それが中国に伝わり「経」という
漢字があてられました。
中国語で「経」はたて糸のことを示します。つまり「経」とは宗教や
学問を貫く教えや不変の真理、そしてそれを解いた書物なのです。
お経を亡き人をなぐさめる呪文のように思われている方も少なからず
おられます。
又お経は「短いより長いほうがいい」という方や逆に「あまり長すぎても」
という方もおられますが、お経はお釈迦様の言葉です。
真実に目覚めた人の言葉をいただき、自らの生き方を見つめ直し、
自らもまた真実に目覚めた人になることが願われているのです。
中国の善導大師はお経は自分を映し出す鏡であると教えてくださいます。
教え・心理に照らしてわが身のあり方を知るということです。
亡き人を偲びつつ、そのことをご縁として、心静かに仏様のみ教えに
出遇っていくことが、葬儀や法事の場でお経をあげる本当の意味なのです。

法語の味わい ー法語カレンダー11月号よりー

宗祖去りて 数世紀
今日も 帰命無量寿如来…
在りし日の 母が勤行(つとめ)の正信偈
我が耳底に 一生(ひとよ)ひびかん

歌人の吉野秀雄氏が亡き母を偲んでうたわれました。
お内仏に向かって手を合わせ、「帰命無量寿如来」とお勤めされる母の姿は、
氏にとってまさに日常の風景だったのでしょう。
氏は「歎異抄」によって宗祖に出遇われ、真宗のみ教えに深くうなずかれ
ましたが、氏を歎異抄に導いたのは、お勤めされるお母様の後ろ姿だった
のでしょう。
宗祖親鸞聖人ご往生から七六〇有余年、月日は遠く隔たってしまいましたが、
いま私に到り届いた「正信偈」は宗祖五〇歳の頃、常陸国笠間の郡、稲田の
草庵で筆を執られ、その後長く推敲を重ねられたものです。
お念仏申し、帰命無量寿如来と正信偈をお勤めすれば、いま眼前に
「念仏申せ、浄土往生の一筋道を往け」と、宗祖のおこころが立ち現れてくるのです。

坊守便り ー生野まつりに参加しましたー
第52回生野まつりの開会パレードに参加させて頂きました。
委員会の皆さんとユニフォームを合わせて垂れ幕を持ちプラカード
を掲げ、巽公園のグランドを一周歩きました。
開会式には区長をはじめ元区長、市会府会議員の方々も揃われ、
まつりを盛り上げておられました。
公園内には各種団体のテントも建ち並び、それぞれ所属団体の
啓発活動でにぎやかな一日です。
さらに午後には、生野区内の全ての地車も集合し、だんじり囃子で
賑やかなことでした。
もう7年目になりますが、私も生野区の人権啓発推進員をさせて
頂いております。
社会が複雑に変容する中、今まで経験することのなかった問題に出会い、
戸惑うことも多々あります。
悲しいことに、いじめや虐待、インターネット上の人権侵害、障害の
ある人や外国人、性的マイノリティーなどに対する偏見や差別が存在します。
生野区全体から、様々な方々が啓発活動に取り組んでおられ、微力ながら
私も活動に参加し、広報誌にその報告をさせて頂いております。

十一月の行事

2 日(日) 午後1時~  おみがき清掃ご奉仕

6 日(木) 午前10時半~ ピラティス

12日(水) 午後2時・夕方5時~ 報恩講
ご講師 泉大津 南冥寺住職 戸次公正師
20日(木) 午前10時半~ ピラティス

十二月の行事

4 日(木)午前10時半~ ピラティス

6 日(土)午後2時~ 祥月講・同朋の会聞法会
ご講師 光照寺住職 墨林 浩師

18日(木)午前10時半~ ピラティス

31日(水)午後 11時半~
歳暮勤行・除夜の鐘



寸言

往く言葉が 美しければ

還る言葉も また美しい


韓国のことわざ
真宗大谷派 鶴栖山 安泉寺

お問い合わせ

お電話またはwebからご予約承っております。