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西新宿 彩旬亭

2026.01.31ブログ

法悦2026年2月

 法 悦2月号 905号

葉っぱのフレディ(抄訳)   レオ・バスカーリア

一本の大きな木に、一枚の葉っぱがありました。
名前はフレディ。
春に生まれて、夏には風に揺れ
仲間達と笑い合っていました。
でも、秋が来ると、
身体の色がだんだん変わっていきます。
フレディは不安になりました。
「どうして落ちなきゃいけないの?
僕はまだ生きていたいのに」
すると、そばの年老いた葉っぱが言います。
「フレディ落ちることは終わりじゃないんだよ。
私たちは土にかえって、木を養い、
また新しい葉として生まれてくるんだ」
そしてある朝、静かに降り積もる雪を見て
「これも生きることの一部なんだ。」
そう思ったとき、フレディは枝を離れ
空へまい上がっていきました。
いのちは消えたのではなく、
形を変えつながっていったのです。

青色青光
「生のみが我らにあらず、死もまた我らなり。我らは生死を並有する
ものなり。」と、清沢満之師は述べておられます。
私たちは、ややもすれば生と死の間に抜きがたい断絶が在ると捉えて
しまいます。
しかし、仏教で説く縁起の教えに照らして、いのちの相を問い直してみると、
断絶ではなく、変化しながらも連続しているという事実に気付かされます。
上記の物語は一面、季節の移ろい=死すべき身の自己受容を描いた秀作です。
しかし私たち凡夫の身に於いて身近なかけがえのないものの死や、自身の死を
考えるとき、誰もがこのように逍遙として死に赴くことや、心穏やかに受け
入れることが出来るのでしょうか?
親鸞様と唯円坊との活き活きした対話が記されている、歎異抄九条に
「娑婆の縁つきて力なくして終わるときにかの土へは参るべきなり、急ぎ
参りたき心のなきものをことにあわれみたもうなり。それにつけてこそ
大悲大願はたのもしく往生は決定と存じそうらえ」と、私たち凡夫の抱く
不安をも包み込んで見放さない、阿弥陀仏のお慈悲の確かなることを説き、
むしろ急ぎ浄土へまいりたいという勇み心を批判しておられます。

住職日々随想
阿弥陀様は名前で救う仏さまです。
名前で救う?とはどういう意味でしょうか。
親鸞聖人は主著、教行信証の行の巻に「いわんや我が弥陀は名をもって物を
接したまう(お救い下さいます)ここをもって耳に聞き口に誦するに、無辺の
聖徳、識心に攬入す(阿弥陀様のお心がこの身に染み渡ります)。
永く仏種(悟りの因)となりて、頓に(速やかに)億劫の重罪を除き、
無上菩提を獲証す。信に知りぬ少善根にあらずこれ多功徳なり」と、私たちは
日々の暮らしの中、心がもやもやして重く晴れないことがあります。
苦しい、けれど何が苦しいのかも分からない。
そんなことはないでしょうか?
仏教ではこのような心のありようを「無明煩悩」と捉えます。
若き日の親鸞聖人も、まさにそんなお一人でした。
比叡山での二十年に及ぶ厳しい修行を重ねながらも、悟りを得るには到らず、
深い絶望の中、道を求めて苦悶し続けておられました。
やがて吉水の法然上人のもとを訪ね、「ただ念仏して弥陀にたすけられ
まいらすべし」とのお言葉を頂かれたとき、親鸞聖人の内深くにあった迷いに、
初めて確かな「言葉」が与えられました。
もちろん長いご修行の中で、阿弥陀如来の救済についての深い理解は
持っておられたに違いありません。
が、実際に法然上人と出遭い、吉水の草庵に集っておられる人びとの姿に、
「ここに道あり」との確信を得られたからこそ、師のお言葉が胸に響いたのです。
それは、凡夫の身にとって、自力修行による悟りはない、という厳しい
自己認識であると同時に、そのような者をこそ救わんと誓われたのが、
阿弥陀如来のご本願であると深く信知されたのです。
煩悩がなくなったわけではありません。悩みが消えたわけでもありません。
けれど、わが身の事実がはっきりと知らされたとき、心の霧は速やかに晴れて
いったのです。
世界が変わったわけではありません。迷いの身が迷いのまま阿弥陀さまの
おはたらきの中に、この身が置かれていると知らされたのです。
親鸞聖人の歩みは、悩みのない生き方を示すものではありません。
悩みを抱えたまま念仏申すことが、仏恩報謝の確か道、と頷かれたご生涯でした。
私たちもまた、もやもやする心をそのままに、南無阿弥陀仏と申すところに、
すでに仏さまの救いのおはたらきに出遭っているのです。

真宗入門 ーお寺の鐘ー

「お寺の鐘の音がゴーンと聞こえると耳に心地よいことですが、何のために撞く
のでしょうか?
もともとお寺の鐘は、法要の集会の合図として撞かれるとともに、時を知らせる
ためでもありました。
時計が無かった時代の時を知る一つの手がかりで、特に夜明けと日没を知らせて
くれるものとして、明方と夕暮れ頃に撞かれました。
現在の時間では、おおよそ朝夕の6時頃になります。
今でも朝夕に時間を決めて、鐘が撞かれる事が多いようです。
真宗本廟(東本願寺)では、朝のお勤め(晨朝)の合図として、十一回撞かれ
ています。
夏は4時50分、冬は5時50分、春秋は5時20分に撞かれます。
報恩講などの法要では、お勤めが始まる1時間前にも撞かれます。
鐘は正式には梵鐘と呼ばれ、高さ120~150㎝、口径60~90㎝のものが
多く、お寺の境内にある鐘楼堂という建物、あるいは鐘楼門に釣り下げ、
撞木(しゅもく)という木製の太い棒で撞き鳴らします。

法語の味わい ー法語カレンダー 2月号より
この口からお念仏
阿弥陀さまはいつもご一緒 

よく「仏様のお迎えが・・・」というような言葉を聞くことがあります。
どうやら、仏様は遠くにいらっしゃって、いつか迎えに来てくださるように
受け止めている方が少なからずいらっしゃるようです。
でもそういう仏様が、私に本当の安心を与えてくださるでしょうか。
阿弥陀様は、私を必ず救うという誓願を立てられ、その誓いを『重誓偈』
で重ねて示されました。
そのなかで「名声(みょうしょう)超十方」というお言葉があります。
これは、あなたを救う願いを完成させましたという名告り、その名号が、
声となってあらゆる方角に広がっていきますと誓ってくださっています。
阿弥陀様は今、私の口から出てくださる声の仏様になってくださって、
私の人生にずっとご一緒してくださるのです。

坊守便り ー創作浪曲 医師 中村 哲の生涯ー
「いのちの水を求め続けた中村哲の物語」をご縁があり、1月25日
当寺本堂で満堂の観客を迎え熱演して頂きました。
中村哲医師はアフガニスタンやパキスタンで人道支援に尽力されました。
2019年、アフガン政府から名誉市民権を授与されましたが、同年、
活動中に凶弾に倒れました。
福岡市のNPO団体「ペシャワール会」の現地代表として、パキスタンで
ハンセン病患者等の治療に従事したほか、アフガニスタンでは医師であり
ながら、用水路を建設し、農業支援の陣頭指揮を執りました。
結果、不毛のガンベリ砂漠、約1万6500ヘクタール(東京ドーム
約3500個分)を緑の豊かな土地に変え、ケシ栽培や兵士になる以外、
収入の道の無かった約65万の人びとが、平和に暮らせるよう支え続け
られました。
約35年にわたり、戦禍の中で病や貧困に苦しむ人びとに寄り添い続けた、
中村哲医師のひたむきな姿を、オリジナルの創作浪曲として演じていただき
ました。
昨年は第2次世界大戦後80年の節目の年でしたが、平和の大切さを次世代に
語り継ぐことは先に生まれた者の使命です。
今回演じて下さった趙博さんは、素晴らしい曲と平和のメッセージを届けて
くださいました。

二月の行事

5 日(木)午前10時半~ ピラティス

19日(木)午前10時半~ ピラティス

21日(土)午後2時~ 祥月講・同朋の会聞法会
ご講師 西稱寺住職 宮部 渡師

三月の行事

5 日(木)午前10時半~ ピラティス

15日(日)午後1時~  おみがき・清掃ご奉仕

19日(木)午前10時半~ ピラティス

21日(土)午後2時~  春季彼岸永代経法要
ご講師  伊勢 道浄寺 酒井正夫師

寸言
自分が死ぬと言うことを 曖昧にしているとき

生きているということに 曖昧である

宮城 顗
真宗大谷派 鶴栖山 安泉寺

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